只、一端預かった役者は搾れるだけ搾る

11月16日、鴻上尚史 著『鴻上尚史の俳優入門』(講談社文庫)を読む。本書は劇作家で演出家である著者が中高生向きに俳優という職業についてレクチャーしたもの。高校演劇コンクールの審査員として青森に出向いた著者が帰りの東北新幹線の中でコンクール参加した高校生の男女に呼び止められる。自分達は今後本気で俳優を目指すつもりだが業界のことは何も知らない。くわしく教えて欲しいとせがまれ、じゃあ東京に着くまでなと走る列車の中で集中講座は始まる。映画、テレビ、演劇と各ジャンル別に仕事の内容を解説する章の「映画の場合、1ヶ月かけて1日平均3分間のドラマを撮影する」には私もそんなものかとおどろいた。相米慎二の丸1日リハーサルしてもその日に本番を撮るとは限らないというペースはそれ自体はそう強引な撮り方でもなかったのだ。只、一端預かった役者は搾れるだけ搾るという。「低予算の映画は速撮りだが予算がたっぷりあるネット作品はゆったりした速度で」というくだりにもネット作品は予算があったのかとおどろいた。私はネット配信ドラマというものを何やら不気味なものと敬遠していたがそれらに予算はたっぷりあると知らなかった。それらはナショナル自転車やヤクルトラーメンのように巨大企業が実験的に別業種にも手を拡げたものだったのだ。それらはやはり何やら不気味なものだったのだ。具体的に「どうやって俳優になるんだろう?」という問いに答える章では上級者向けに「ただし、君に本当に演技力がつき、その劇団の舞台で評判になれば、他のメディアや劇団は、放っていても君に仕事を依頼しに来る」と著者は解説する。私が今どきの小劇場の青田買い事情に気付いたのは楽屋口に“出演者に面会したい方は主催を通して必ず事務室内で”と貼り紙してあるのを見たとき。30年昔は出演者が観客をお見送りして名刺を配ったり交際を求めたりしていたがそんな舞台に限って内容は稚拙であった。昔は情報誌からランダムに選んだ小劇場の芝居を自腹で観るには相当な勇気が必要だったが今はどれもチケット代なりに楽しめる。やはり時代は変わっているのだ。「日本では、まだ演劇専門学校は主流になっていない」、「でも、だんだんと、学校の重要度は増していくだろうと僕は思っている」と語る著者が何を考えているのかオールドエイジの私にはもうわかる気がする。が、鴻上先生に相談しようと現役高校生が勇気を見せる対照にある著者ならばそれもさらなる夢の奥深く究極のといった話でもないのではないか。