ライブにはそれなりの覚悟を持って

11月26日、岡林信康『森羅十二象』(ディスクユニオン)を聴く。本作は68年に『山谷ブルース』でデビューした岡林信康の50周年記念アルバム。全12曲は過去作のセルフカバーを多彩なゲストと共演したもの。京都フィルハーモニー室内合奏団、坂上幸之助、矢野顕子サンボマスター山下洋輔といった面々をプロデュースしたのはディスクユニオンの矢島礁平。だがディレクションには岡林信康も名を連ねてクレジットされている。キャリアの集大成のような作品に招聘したことにどんな理由がという点で一番気になるのは矢野顕子か。私はゴールデン・カップスのドキュメントの中で当時の熱狂ぶりを語っていた矢野顕子を思い出した。自身のルーツミュージックといっては大袈裟なのかもしれない。只好きなものは好きだと何年たっても言える自分でありたいという主張を感ず。『チューリップのアップリケ』をここに至って岡林信康矢野顕子が何の屈託もなく共演できるようにそれぞれのファンは自然と向き合えるかどうか。知らなければ見下されることばかりの異文化圏に下駄ばきでやあやあと踏み入っていける超個性なぞそれこそひとにぎり。それでもこの共演が今後何らかの記念碑になってくれたらと思う。つづくサンボマスターとの『それで自由になったのかい』は逆にそんな堂々と肩組み合っていいのかと思うほどの寛容ぶり。『私たちの望むものは』はもう二度とやらないという岡林が『それで自由になったのかい』ならば若い後進ともう一度やれるのはなぜか。「今ある不幸せにとどまってはならない」のならば今ある不幸せからオーバーランしなければならない。が、「新しいお前さ」と自分を鼓舞することは誰でも何歳でもそのつもりでいさえすればできることである。サンボマスターはTBS制作の豪奢な学園ドラマのテーマ曲を担当したばかりでありまた違う意味でオーバーランしているような。が、その類の非難なら散々浴びてきた岡林とのコンビネーションは絶妙。本作のクライマックスを飾る山下洋輔だが先日自宅で転倒しライブ活動に復帰できるのは12月以降になるとか。12月20日の記念コンサートのスペシャルゲストには間に合うのかどうか。ただしエンヤトットバンドも一緒なのでまだ安心というか不安というか。最悪メインはエンヤトットをたっぷりという構成になるかもしれないのだ。ライブにはそれなりの覚悟を持って挑もうかと思う。私が年の暮れにジャズを聴きに出かけるなどは浅川マキの文芸坐公演以来で今からもう感慨深いのだ。