自主映画な青春は門外不出である

 学生時代の馬鹿っ話もいいけど俺のことはあまり書いてくれるなよとエイチから苦情が届いた。演劇青年でメジャーな劇団のオーディションなどにも私を巻き込みトライした過去はカミサンに内緒だったようだ。別に悪い事をしてた訳じゃないので私の方はもっと書きたい。

 学生時代にK松さんという同級生だがワンクール年上の人物を中心に作った8ミリ映画のことも書きたいのだ。が、K松さんは渡辺文樹的バイタリティーを持つ自主映画人ではっきり言ってもう一度当時の付き合いを振り返るのはツライだろう。若かったのだ。若かったから授業もバイトも放ったらかして、一円にもならぬ素人映画作りに走り回っても平気だったのだ。当時自主映画界ではそれなりに知られている監督達の作品と、自分達の作品をたまたま同じ小屋にチラシを置いたくらいでもう同格気分で批評していたのは若かったからである。

 で、若くもなくなった今の私が久しぶりに自主映画を観た。インディースムービーフェスティバルなるイベントに出かけたところである。この催し物に「恋はタイムカプセルに乗って」という19分のビデオドラマを出品した旧友田中信行監督からの誘いである。私とほぼ同世代の田中氏は80年代のラブコメドラマや今関あきよしの女のコ映画たちに影響されまくりの青年期を過ごしたようだ。今回の作品もそんなほんわかとプラトニックな男女の恋愛劇である。まだニキビ面の学生時分に結構いいムードだった女友達の本当の気持ちが失業者になった今頃確かめたくなるダメ男。我慢できずに強引に一日だけのリヴァイバルデートを行きつけのお好み焼き屋で実現させる。が、結局胸のつかえはどうにもならぬまま現在の婚約者と手に手を取って社会復帰へといった内容の作品である。この作品を田中氏からビデオで見せてもらった時点では気付かなかったが今作は極めて自主映画的である。インディースムービーという呼称は私達の頃にも既にあった。が作っていたのは自主映画だった。今回出品されていた若い世代のインディースムービーとは違う。今やガンアクションなどその辺のVシネマと同じレベルだし役者も所謂タレントの卵だと思われる。有志ではなく名刺代わりの小仕事いった感じで照れがないのだ。こんな所にも不況の波は押し寄せているんである。田中氏によれば参加した監督達の多くはもう映画やテレビの製作現場で仕事をしているようだ。ここらで一本立ちを狙うそうした若手監督がまず腕試しに作ったものを観客に品評させるというのが催しの主旨である。

 が、残念ながら観客はまばらであった。そしてまばらな観客達の正体は皆私のように作った監督にヒマならぜひにと付き合わされた連中なのだ。これでは昔の小劇場ブームと本質的に変わらない。変わらないが舞台と違って映像は残る。残るから困ることもあるし、逆に胸を張ることも参加した人々にはこの先あるだろう。先のことはわからない。私が過去観てきた自主映画の中にも大化けした作品はある。逆にこんなに高レベルな作品がこんな小屋で立った数名の客のためだけに上映されるなんてと首をひねったこともある。が、ひねった首は元に戻らぬままそうした監督も消えていった例も多々ある。そのことを腐々考えてみても仕方のないことである。

 何だかよくわかんないけど只夢中だったあの頃。ガムシャラだったあの頃が青年期にあるのとないのとどっちが幸福かなどとは誰にもいえない。でもあの頃を通過した者同志は時と場所を越えたところでなるほど貴殿もなどとみょうに通じ合えてしまう。で、それがまた嫌なこともある。名画座そのものが減り続けている昨今では。あのオッサンと逢うのは何十回目だよまったくと多分お互いゲンナリしている素性の知れぬお仲間が私にも数人いる。ああ嫌。

 熊谷の夏も知らずに何を言うかと怒られそうだが、夏はひたすら我慢の季節である。金もヒマも冷房も無いジリ貧生活者の夏はただひたすら我慢なのである。それでも過去にはもう少し甘酸っぱい夏の思い出の一つや二つあったかも知れない。が、暑さのせいで思い出せないし、思い出したところで逆にブルーにこんがらがってしまいそうだ。それでも我慢ついでに無理に思い出すとあまり良い思い出は無い。  十代半ば頃にガールフレンドと一緒に観た映画は「愛と追憶の日々」だった。タイトルが何となく思い出せただけで内容はほとんど覚えてない。追憶したくない。実はその映画をビデオで観ながら当時のガールフレンドとの甘酸っぱい夏の思い出を勝手に美化してみようかと思ったのだが。余りにもむなしいので中止。大体が彼女とは五月にファーストデイトを大宮公園で敢行して夏まで続かなかったのである。

原因は私である。前川清が最初の結婚について語るところの「男が弱かったんですよ」に通ずるのである。どう弱かったか。私の前に彼女と交際していた別の男が、お前達がどこまで行ってるかしらないが自分と彼女はとここには書けないようなことを私に吹き込んだのである。今の私なら胸にしまっていられたろうがティーンの私は弱かったんである。一人でウジウジしてるだけでは耐え切れず事の次第を彼女に話してしまったのである。話してどうすると今は自分に呆れている。多分自分の前に交際していた男とは結構なところまでいっているのに、自分とは大宮公園か大宮ハタボウルぐらいしか行ってない彼女を責めていたのだ。京浜東北線のホームに続く暗い階段で彼女がヒールの足を滑らせ転びもう駄目だと泣きそうになった時には既に手遅れだったのだ。私と彼女は友達に戻ることになった。余計な事を口走らなければもっと甘酸っぱい思い出を作れたものを勿体無い話。とも言いにくいんである。友達に戻った私は彼女の結婚式に呼ばれノコノコ出かけていったんである。私はよくノコノコ出かけて行く男で似たようなエピソードは他にもある。フラれた相手のゴールインを作り笑顔で見送る私も私だが見送らせる彼女もいいタマである。

 で、そんな塩辛い思い出ばかり何故今頃持ち出すのか。どうも八代夏子だのタムリン・トミタだの当時のその彼女の面影に今も振り回されて間抜けにもニヤついている自分に気付いたからである。彼女にはもう高校生くらいにはなる子供がいるはずなのにである。ダスティン・ホフマンになれなかったどころではないだろう。阿呆は歳をとらない。とらないがそれだけである。心のドアをノックされてもいないのに返事だけしてしまったではないかオーウ順子。私の順子は純子である。純子は私の純子ではないが。