赤いシリーズって貴方と今仰天である

 たまには海を越えたエロはどうかな。三百人劇場、中国映画の全貌2002における上演作品「レッドチェリー」を観ようと思ったきっかけはその程度であった。タイトルからして少女を扱った明るく助平なライトポルノかと私は思い込んでいたのだ。

 実は実話に基づく大変シリアスな反戦映画だった。レッドとはレッドパージハイレッドセンターのレッドである。チェリーとは私の期待通りおぼこい処女のという意味だった。1930年代のモスクワにあった国際学院に留学する主人公チュチュと連れ合いののび太のようなうらなり少年。二人は共産主義者で処刑された親を持つ。子供までは簡単には処刑できず軍人として育てるわけにもいかぬ孤児達を集めた国際学院が当時はあったのだ。占領軍からすればそんな箸にも棒にもかからぬ子供達であるから人間扱いされない場面も出てくる。が、前半はそうした苦境ながらも明るく元気で異性にも人並み外れて興味津々な普通の子供像が描かれている。山腹に建てられたシャワールームで男の子達が詩を合唱し始めると向こう側のシャワールームから女の子達も歌いだす。うっひょ―何だか興奮しねえ?とみんなで踊りだし終いにはタライのお湯を向こう側へとぶちまけ続け暴れた勢いで建物丸ごと崩壊してしまう場面など可笑しい。主演のチュチュを演じた女のコのルックスも私好みである。個人的に数年前まで夢中だったAV女優の持田薫に似ていて興奮ものだった。このシャワーシーンまでは。

 チュチュが覚えたてのロシア語で学友に自己紹介する場面がある。その内容の平凡さに舌打ちした教師があなたの本当の姿を話しなさい。そんな取ってつけたようなプロフィールは誰かの入れ知恵でしょと問いつめる。チュチュはならば本当の話をします。私の父は革命に加わって処刑されましたと話し始める。軍人達に広場に連れ出され見せしめとして干草を切断する為の脳工具で体を真っ二つに切られましたと。真っ二つの体になってもまだ父はしばらく生きていました。という字幕が画面に浮かんだ時に三百人劇場の中の空気が急激に重くウェットに変化した。

 時代はますますチュチュのような子供には厳しくなる。占領軍の管理下にある修道院に身を寄せたチュチュは軍人達の玩具となり、その証しにとハーケンクロイツの入れ墨をされる。お前は私の生きた芸術なのだとブラックシャック気取りでとんでもない悪を働く自称医師のドイツ軍人も時代の流れには敗れ去る。ロシア人に取り囲まれ後は吊る仕上げを食うだけとなるとあっさり自決してしまう。が、チュチュの身体は自由にはなるが暗い過去の爪跡であるハーケンクロイツは消えない。キャンプファイヤーを楽しむ同じ身の上の戦争孤児達を横目にこれさえなければと燃える焚き火を自ら背中に押しつける場面の残酷で鮮烈なこと。やはり精神的な官能劇がやりたいような側面もこの映画にはある。私の期待も全く見当違いではなかった。

 留学時代は一緒だったが、後にはぐれたのび太のようなうらなり少年とジプシーをしていた少女が、自由になったチュチュと逢う場面。戦争に参加したくてもできない負けん気から同世代の敵軍の捕虜に小石を投げたいざこざから爆死したうらなり少年。その最後を聞かされなくとも少女の語る思い出の中にまだわずかな希望を抱いて生きていた頃を思い涙するチュチュ。本作中では唯一幸せに近い涙である。

 95年上海映画祭主演女優賞。日本の95年は映画どころではなかったが。日本の95年を描いた映画を観劇しすすり泣く日はまだまだ先のことだろう。今よりわかりやすく単色な風景に私達が生きているわけはない。もっとグチャグチャに混沌としているのでは。本作に登場する国際学院のように混沌としているのではと。で、ビックカメラとマツキヨがコンビニ並に乱立。ぐえっ。