野村誠一の瞳に乾杯である

 2002年の夏、堀江しのぶの最新写真集が書店に平積みされる珍事が起きてしまった。カメラはかつての名コンビであった野村誠一ではなくて山岸伸。私はまだその写真集を購入していない。自宅の押し入れの奥には今も堀江しのぶ関連の書籍やビデオが眠っている。家宝であるファンレターの返事もセルロイド製お花模様の想い出箱の中に眠っている。今夏、寝た子を起こしたイエローキャブ野田社長の胸中は果たしてどんなものか。あまりしのぶちゃんへの慈しみを込めたファンへの贈り物には私は感じられなかった。堀江しのぶのメモリアルをここらで何か創ろうというのであれば野村誠一がいっちょがみしてなきゃ疑問である。ピンナップスター堀江しのぶを世に送り出したのは野村誠一の視点に他ならないからである。野村誠一が協力しなかった今回のメモリアルに私は正直引いている。何となくエゲツナイものを感じて手が出せないでいる。

 堀江しのぶと実は同い年であった岡本夏生の最新写真集も初のフルヌードと知りながらも手が出ない。別な意味でエゲツナイものを感じるのだ。しかしこれは私が年を取っただけの事である。堀江しのぶの写真集の中で最も過激ショットの多かった渡辺達生による「あっ、夢感」の発売当時を思い出してみる。確か渡辺和博が写真時代Jrのコラムに書いていた一文に昨今この写真集をオカズに放出された若人の体液を全国から集めればドラム缶一杯分はいくつだろうと書かれていた。それは嫌になる程リアルな当時のナベゾの名言中の名言だった。ドラム缶一杯分のそれが何の訳に立つわけもない。が、やがては将来の日本を背負って立つ大人物も、夢も希望もない万年フリーターもあの頃はドラム缶の中に仲良くひしめき合っていたのだ。

 「ああいうタイプはもう出て来ないでしょうね」とワイドショーの取材にしんみり語っていた野村誠一の言葉に今更ながら同感である。それで結局野田社長堀江しのぶ再ブームなどと物凄いことを今考えているのだろうか。もしその気ならやはり恋写ボーイ野村誠一との一日も早い和解を望むというものだ。

 私の夢想する2002年の堀江しのぶはやはりピンナップガールとしての再臨である。無名の20歳の若ピチなローカルモデルとして。商店街のひなびた喫茶店に必ず貼ってある外人モデルによるコーヒー豆のポスター。あのポジションをいただくのである。堀江しのぶを知る三十路過ぎの会社員もしくは街のゴロツキには感涙ものかも知れない。故人にそうしたイメージキャラクターを依頼した前例は無くもない。松田優作のジャックのCMなどはちっとも不快ではなかったと思う。要は愛情の問題なのだし。マリリン・モンローのビジュアルをお部屋のインテリアにしても誰も不謹慎などとは言わない。つまりお前は故人のビジュアルで夜な夜なシコシコとなどと言及したりもしない。マリリンはよかったな実に、お前は何時頃がベストだと思うなどと世代を越えたエロ話に花も咲こうというものだ。要するに私は堀江しのぶを日本のマリリンにしたいのですよとか何とか言って野村誠一の同意を得るべきである野村社長も。親友の頼みで彼女のポートレートを撮ってあげている。恋写ボーイ、野村誠一の撮影時の心構えである。親友の大切な彼女というこの微妙な距離感は野村誠一の全ショットに現われてはいる。それが最もナマかったのはやはりデラックスマガジンにおける堀江しのぶとの仕事だったと私は思う。