それは金に糸目をつけぬ貧乏臭である

 丸の内ピカデリー1にて「たそがれ清兵衛」を観る。山田洋次監督による初の本格時代劇である。本格じゃない時代劇ならチョコチョコ撮ってたのかと思えば撮っていた。多分それらは「男はつらいよ」の冒頭数分の扮装コントの事だ。勿論今回はあのようなものとは入れ込み方が全く違う。「男はつらいよ」という生涯続くかに見えた宿題から解放されて、今後は改めて自分の撮りたい物を撮るだろうという周囲の期待におうよと胸を張って放った超力作である。こだわりにこだわっている。まずセットと衣裳のボロさ加減がライヴ感充分。そこで生活する人間が常日頃使っている以上汚れくたびれてるのが当然でしょうと言わんばかりの汚しテクである。それもコント風の貧乏臭さではなくあくまでシリアス劇として。本当の本当に貧乏な知人宅を訪ねた時のあの下手なことは言えぬ湿り気と薄明がある。

 主人公、たそがれ清兵衛はたそがれ時になると付き合い酒も断っておんぼろ屋敷に帰る。幼い娘二人とぼけ始めた母親とまだ若いが頭の弱い下男がそこには待っている。藩ではあまり世情に関係ない雑役を努める平侍である。屋敷に帰れば畑仕事と内職に追われる日々である。妻は病死している。貧しいながらもそれなりに幸せに暮らす清兵衛にハタ迷惑な白羽の矢が飛んできたのだ。刀を持たず棒きれ一本で真剣を振り回す荒らくれに勝ったと藩内の噂になった清兵衛。その清兵衛に君主に謀反を働きながら自分は腹など切らぬと開き直る騒乱の中心人物を暗殺せよと命令が下る。何の恨みも無い人間を切れるような男ではございませんでと断る清兵衛だが平侍にとって君主の令は絶対である。

 俺はこれで最後かと思い知らされた時、清兵衛の心には幼なじみの親友の妹、朋江のことが引っかかり始めたのだ。前夫とのイザコザの件の後で親友からあれはお前と一緒になりたいそうだが出戻りで良ければと薦められ清兵衛はキッパリ断っていた。幼なじみとはいえ両家では貧富の差があり過ぎたのだ。病死した清兵衛の前妻も、もとはと言えば貧乏をコジらせて若死にさせたようなもので同じ過ちはもう結構というのが清兵衛の言い分だった。が、いざ死と直面してみると朋江の存在がどんどん自分の中で大きくなっていく。刺客に成功して生きて帰ってくれば出世は約束されている。生きて帰って朋江を妻に迎えたら良いではないかと思いその胸の内を朋江に告げる。が、当の朋江はあんなにキッパリ断るからもう別の人と縁談を決めてしまいましたと困惑する。この辺は古き良き時代劇にありがちな展開だが。それはとんだ失礼をしましたと寅さんばりに顔で笑って心で泣いて刺客となり走る清兵衛。

 クライマックスは真田広之演じる清兵衛と舞踏家、田中泯演じる謀反の中心人物との暗い屋敷の中での立ち回りである。障子をはさんでブスブス突き合う場面で田中泯の刀が真田広之の鼻先をかすめる。そこだけ真田広之に戻って危ねえだろバカと言いたげな素の表情が一瞬見れる。なんとなく舞台の上のマジシャンが自分で仕込んだことを忘れたネタが暴発してしまっておののいたが進行上笑って両手を広げているようである。今顔面串刺しにされたぜ下手したらといったムクれっぷりも多少残しつつ見事な立ち回りを最後まで見せてくれる。某誌のインタビューで若い頃は失敗したら死んでしまうようなアクションにも何度も挑戦してたなあなどと語っていたがそういう昔を思い出す程のガチンコ対決だったのだろう。

 そしてヒロイン役の宮沢りえが久々に良い。もう国際女優路線中止してこういうガチンコな邦画にしか出ない王道女優になって欲しいと思う。次回作ではドスの一つも振り回して欲しい。設定は明治の中頃ってことで。おぼっちゃま君ふうメイクの力也を従えて大暴れして欲しい。が、その種のリメンバー任侠劇って役者が揃い過ぎると却ってシラけるので監督はガッツ石松