埃にまみれた人形みたいである

 つい最近店頭に並んだ食玩は懐かしアニメでも特撮でもなく家庭。昭和40年代のとある郊外の中流以下の一軒家のプラモという来るところまで来たキラー球。プラスチックのフタが付いた汲み取り式便所だとか思わずその場にへたり込んで苦笑してしまった私だった。が、これに手を出すのはあまりに作り手の思うツボと感じて入手するのをためらった。だって、ねえ。

 汲み取りが好企画ならあの当時の農家の庭先の馬糞の山とか。雑木林の中に放置されたボロ布団とエロ本の山とか。ぶっちゃけ過激派学生のプレハブ基地とか。そこまで行きますよ。ノスタルジー産業どうかと思いますよ。いくら想い出は美しすぎるからといって。クソッ、昔は良かったなんて、ねえ。

 しかしもうこのノスタルジー産業とセックス産業そろそろジョイントするんじゃないでしょうか。80年代志向のイメクラとか。利用世代に合わせて70年代風ギャル、60年代風ギャルを揃えた店がひょっとしたらもう出没してるんじゃないでしょうか。ツイッギーや水森亜土ふうのイメクラ娘を追い求めにやって来る利用客であれば60年代に大学生だったとして今や60代。イメクラ通いとGパン姿が若さの主張だったり。本当は踊れないゴーゴーガールにルパン三世ばりのモンキーダンス逆に仕込んでみたり。で、消耗しきってそのまま帰ったり。大体2DKくらいのここ30年間ならどこにでも建ってそうな雑居びるの一角だけを完全に昭和50年代5月15日の昼下がりにすることは可能なのでは。仕事にあぶれた映画の美術班に依頼して風俗版の映画村を掘っ建てることは可能。「やじうま寄席」を脚付き家具調テレビで観ながら、東てる美似の娘役とホッピーで乾杯。窓の外の選挙演説やパチンコ屋の宣伝カーの騒音までプロの音響技師が担当。事故防止の為に一時導入されためちゃ臭い都市ガスなんぞも持ち込んですき焼きパーティー。ちょっと頭痛いなぁか何か。昭和50年5月15日午後にこれといった想いの無い人間でも、恐らくその日までに人格形成してまァなんとなくボンヤリ生きてきた人間であれば病み付きになるであろう。自分は歳を取ってもその2DKだけ30年前のナマのまま体現できるとしたら。ましてや当時は小学生で性に目覚める一歩手前だったとしたら。雑木林のエロ本の山に飛び込んでもらって。自販機本の中のロビンソン・クルーソーとして活躍してもらって。で、家に帰ってもすっかり昭和50年気分抜けきれずに。当時の同窓生に片っ端から電話しまくったりして。逢わないか何か。ビビられて。