Shall Weダンス擁護派である

 新文芸座の小津特集には初期の無声映画活弁付で上映されていてオールドファンには好評であった。が、私は当初活弁というものに抵抗を感じて無声映画の日はパスっていた。ま、一本くらいは観ておくかと5月11日の「その夜の妻」の夕方の回に足を運んだ。しかし活弁なァ的な尻込みは客席でマヨ明太子おにぎりをパクつきながらも続いて。活動弁士ってんだからやっぱり燕尾服に大江健三郎風の黒メガネをかけたヨロヨロの老人がともすれば車椅子に乗って登場するのではとおろおろしていたのである。その老人が演壇にしがみつくようにしてガラスの水差しからまずそうな水を何杯もおかわりしつつ熱弁をふるう様子を想像していた。ことによると長島監督アテネオリンピック以上の不安と緊張の中でその最後になるであろう晴れ舞台を見守るハメになったのではないかと。嫌だなそれと。

 ところが現われたのはそのようなヨロヨロの老人ではなかった。キューティ鈴木青田典子を思はせるウェットで落ち着いた魅力の女性がこの回の弁士を勤めさせていただきますとペコリと頭を下げた。ガラスの水差しの代わりにボルヴィックを持参している。燕尾服ではなくデザイナーもののタイトな黒のスーツ姿だ。そのせいか小柄でもガッシリとして見える。活動弁士佐々木亜希子を私が観た最初の瞬間である。そして私は彼女の活弁に「自然と映画に引き込んで」行かれた。その「独特の感性と透明感のある語り」によってである。「」内は後で入手した次回公演のチラシのプロフィールにあった一行だが全くその通りだと思った。まるで幼年期に寝床でまだ若かった母親からおとぎ話をきかされているような。ひろすけ童話「泣いた赤おに」にマジ泣きしたふじ幼稚園うめ組時代にトリップしていた私は夢みるもの。だが彼女は夢そのものだ。大分いかれてますな。

 Shall Weダンスの幕開けですかなと呆れてもらって結構だ。ああ結構。Shall weダンスの何が悪いと言いたい。阿川泰子しかり林あまりしかりその芸術ジャンル全体がホコリをかぶりかけている時には彼女のようなミューズをフロントに立てて市民権を守るのが定石なのである。そかも過去のそうした立役者と違ってちゃんと実力があって作品解説まで木村奈保子の何十倍も聞かせるのだ。私は佐々木亜希子を応援することにした。以前に劇場で見かけた桜前線と共に北上公演中のストリッパーを仕事も家庭も投げ捨て一緒に北上しているお父さんの気持ちが私にもわかってきた。もうこうなったら「丘の上の向日葵」ね。どうなったっていいんだ。