台風は四号に限るんである

 待てよ、俺はラッキーマン。五月のとある昼下りに近所の巨大スーパーにてサッポロ一番の塩とかきあげ天とえのき茸を購入中にハタと気付いた。店内にはビートルズの初期ナンバーとおぼしき楽曲が流れていた。冷凍食品棚の前では象アザラシのような白人中高年女性がフンフンと巨尻を振っている。そのビートルズナンバーを私は聴いたことがなかった。
 曲調や録音状態が自分の持っている64年〜65年の大雑把な違法ベストCDの収録曲と重なるものがあった。そうして私はハタと気付いた。自分はビートルズの公式なアルバムをただの一枚も持っていないと。このことは何というかある意味ラッキーなのではと。ビートルズのLPを昼食代を切りつめて毎月一枚ずつ買い求めることがこの時代にこの年齢にして可能なラッキーマン。それが私、私なんです。どんな風にかみしめたものだろか。
 第三世界に住むつい最近になってビートルズを知った女の子とペンフレンドになってアルバムの寸評を交わすとか。英語力の皆無を無視してバリバリの意訳で私なりの「ビートルズ詩集」を制作しようか。片岡義男にも岩谷宏にも書けなかった私だけの「愛さえあれば」を。しかしビートルズのオリジナル盤を一枚も持っていないことに気付いた今も考えようによっちゃこのようにラッキーなのだが。
 中学時代の私はサイモン&ガーファンクルの何曲かを偶然エアチェックしてビートルズの曲と思い込んで聴いていた。英語の曲はすべてビートルズとまではいかなくとも当時の私にビートルズの輪郭はかなりあやふやであった。ビートルズ本のようなものはいくつも読んだ。まあ、何て鼻の大きい男の子というリンゴ・スターの自伝の書き出しまで覚えている。商業的成功に関わることなくバンドを去ったメンバーなどにいたく共感したし太田裕美の「最後の一葉」に涙したりも。
 基本的にセンチメンタリズムなのだ私のビートルズ観は。詩作のお友というより失恋のお友に最適ではないかと。毎月一人の女性に交際を申し入れ断られたその足で山野楽器(ま、何となく)を訪れビートルズのオリジナルアルバムを一枚購入。なかなかおセンチで良いと思った。が、毎月最低一人の女性に夢中になるほどの精力がもうありませんでした。
 ケーシー高峰が最近某週刊誌に闘病期を語るインタビューの中で艶事の方はこの年ではさすがにもうと照れていた。そのケーシーが「おいろけ寄席」でブレイクした年が66年で当時三十代半ば過ぎ。つまり今の私の年なのだ。そして私は66年生れである。この半人前がと頭をこづかれたいのはケーシーだけと僕はダウン。