青春の裏表紙にキム・ワイルドである

 去年の今頃に千駄木辺りの古本屋で何気なく入手してしまった『ミュージック・マガジン』82年6月号をペラペラ読み返している。当時の私は15歳。『ミュージックマガジン』という雑誌の存在は知っていたが敷居が高そうで立ち読みすらできなかった。一応高校と名の付く所へは籍を置いていたのだが。その高校というのが中学時代の進路相談で優先順位上もう夜の七時過ぎまで後回しにされた上に判をついたようにポンとあてがわれるレベルの高校だったのだ。『ミュージック・マガジン』は『世界』と同じくらいにアカデミックで大人向けの雑誌に思えた。
 じゃあ今では『世界』くらい読んでいるかと言えば読んでないのですけど。関係無いけど今時のポリティカルな雑誌って紙質が悪い上にデザインも雑多で格好悪いし、あとその紙が臭いのがどうも。紙質もデザインも今日的でポリティカルな娯楽誌を作りたいのは山々なのだけど印刷屋やデザイン事務所に旧知の仲っちゅか同じ釜の飯を食った同胞がいるのでつい発注してしまうのだろうか。今日的な紙面を作ってくれそうな制作陣とはポリティカルな部分で相容れないが金で横っ面を張るようなことはしたくないっちゅかその金も無いしといったところか。
 結果的に店頭に並ぶ不細工な商品はポリティカル度においてガリ版刷り一部五百円の新聞と言い張るフライヤーに負けている。後者のハッタリ感、やぶれかぶれ感の最新モデルがあの今時のポリティカル娯楽誌なのかもしれない。そのことが淋しいと言えば淋しいような。ベビースターラーメンこれ以上パッケも中味もテコ入れして欲しくない昭和っ子の気持ち。ま、その程度の気持ちですが。そんな訳で四十代もすぐそこまで来た私は今『世界』を読むように20年以上前の『ミュージック・マガジン』を読んでいる。
 20年も前の雑誌だからやはりこの時代には誌面をにぎわすスターだったのに今では何処へやらといった人物の姿もと思えば表紙はバウ・ワウ・ワウ。表紙をめくるとロバート・パーマー。三好鉄生のデビュー記事などもある。が、一番正確に死んでいるのはRCサクセションのレーザー・ディスクだと思う。
 このレーザー・ディスクのソフトには後にアダルト業界も参入した。ビニール盤のLPより一回りも二回りも大きいそのジャケットはとてもじゃないがレコード棚には収まらないし壁に飾れるシロモノじゃない。あれを持っているだけで密売人のように日々オドオドしていなければならなかったと見えてすぐに市場を去った。今あのド恥かしいブツをそろそろさばく猛者がネット上に現れそうな予感が私にはする。