焼け野原にてカウベル、コンである

 フィルムセンターにて生誕百年特集 映画監督 豊田四郎「喜劇陽気な未亡人」(64年東京映画)を観る。主演のフランキー堺は便所で気張りすぎて怪死した中年男の幽霊役である。残された妻を新珠三千代が演じる。妻のワル仲間の事業家を淡島千景が演じ、鬼嫁役の水谷良重とその妹役にアイドル時代の中尾ミエなども登場して世のダメ男達を研究するアチャラカコメディー劇だ。そのダメ男達全てをフランキー堺が一人九役もリレー出演するところが見どころと言えば見どころである。が、フランキー堺の本作での大活躍ぶりは当時の人気に押されてというより人気に陰りの見え始めたフランキーのやけっぱちの暴走といった感もある。そのフランキーの無我夢中の実力見せつけまくりからは適度に距離を置いて女優陣のはじけっぷりを追いかける豊田演出の妙がどうにか本作の鮮度を今日まで保っていると思うのだ。そうでなければ今時幽霊役のフランキーが中尾ミエのお尻に突き飛ばされてズッコケてはカウベル、コン、バスドラ、ボヨーン程度の効果で誰が笑おうか。精力減少気味のダメ亭主の為に指圧をマスターして無理やりベッドに寝かせた亭主の腰骨に両親指をグイグイ突き立てると同時に自分のお尻までグイグイと天井に届くほど突き上がってしまう水谷良重のノリの良さ。「がきデカ」をオーバーラップしてしまった私は座席からズリ落ちて笑い崩れた。タイトルに「喜劇」とあるこの時代のこの種の映画で本当に笑ってしまったのははじめてかも知れない。中尾ミエの恋人役が坂本九というこの時代、つまり64年にはまだGSブームも始まっていない。
 この4年後の68年に公開された「喜劇 駅前開運」の舞台は東京、赤羽駅前商店街である。その街頭ロケに登場する当時の赤羽付近の住宅街の外れには、まだ軍用トラックが所狭しと放置してあるのだ。劇中の人物達の語るにはそれらは恥ずべき街の姿だが現状ではどうしようもないという。まだまだ地域によってはどっぷり戦後なのだ。「喜劇 陽気な未亡人」に私が戦後を感じたのは若後家の野菜の行商役の池内純子の着用するリーバイスジーンズ。恐らくはリーバイスの本物のジーンズのはずなのだが何というかそれは足にはくものなのかと疑うほど異様なシルエットのデニムパンツなのだ。しかしこれは当時としては映画の衣装に探し求めたくらいの本当の本物のリーバイスなのだろう。本物でさえこの始末だったのである。されど現在の若者がマンションの敷金礼金なみの金をはたいてまで手に入れている60年代の本当の本物のリーバイスも私には本当の本物とは思えない。東京の真中で食べるタイ屋台料理のランチが千円以上するのも同様に感ず。素材としては本当の本物でも値段の付け方はまるで暴力バーのそれではないかと。ま、暴力バーに入ったこともないが。ビール数本とスティックサラダしゃぶっただけでウン十万というのはありゃスリル代なのかしらん。一度ボッたくられっるとその九死に一生の安堵感から病みつきになってしまうものなのかも知れない。マンションに入居できる金額の中古ジーンズをはいている現代の若者達も似たような不思議な安堵感の中に遊んでいるのかも知れない。俺は今都内駅前バストイレ付2DKを穿いていると。お父さん穿けるのと。お父さんは穿けませんよとてもとても。そう言えばあの時代日暮れ時にパジャマ姿で散歩するお父さん多かったな。パジャマ=洋装の時代か。グッスン。