薄水色の収集袋入りの記憶である

 かれこれ百回以上も書き続けてきたらしい私のへなちょこ随筆の、主な題材である昭和四十年代の日本の暮らし振りを、ごっそりパックした博物館が千葉県松戸市にあるらしい。一度そこへ足を運んで勉強し直す必要があるのかなとも思う。が、なにしろ時代の細部までネチっこく復元保存されたゴツイ博物館なのだそう。私なぞうっかり足を踏み入れたら、もう二度と安易な私流高度経済成長節なぞうなる気も失せてしまいそうである。千葉には生家と呼ぶべき家もまだ残っているかも知れないので、今のうちに行っておきたいのだが。
 都会で生活するなかで、ついフツフツと昭和レトロ熱が胸に湧き上がってきた時は、私はもっぱら神社を探す。神社というものは一度建てたものを更地に戻すのは素人目にも勇気が要るようだが、やはりというか都会の真ん中に今も点在する。その大部分が昭和四十年代始めの、あの時代に建てられ今も何となくうっちゃられている。何やら余った木材やトタンでやっつけられた神殿の周囲にくぬぎなど生い茂っているなと思えば、申し訳程度の児童遊園もやはり余ったコンクリートや古タイヤでやっつけられている。しなだれさびれきったブランコに山崎ハコがしがみついている。 くぬぎ材の中に燃えかかった布団と漫画アクション。雑木林と成人雑誌は切っても切れぬ仲だと幼少の頃から私も思い知らされてきたが、時折そこにせんべい布団が大人一人分持ち込まれていたのが当時よくわからなかった。今は少しはわかる。布団があってそこに大人が一人寝起きしていたのだなと。雑木林の中で布団に寝そべって夜空を見上げつつ泉アキのグラビアながめムーズムズと。ジム・キャロルみたいな詩作スタイルを当時千葉の片田舎でシコシコ展開してた詩人がいたと思われる。
 同じことを現存する都会の真ん中のやっつけ神社でやってみたまえ。即逮捕されます。詩作の続きは取り調べの後。二ヵ月ほど前の事か。新宿駅東口の植え込みの中から鍾馗様のような風貌の浮浪者が、トイレットペーパー片手に下半身裸のまま歩道によろよろ歩き出した。私は警察が飛んで来るまで何分かかるだろうと興味を持ち立ち止まった。意外にもその半裸の男へのブーイングは同業の浮浪者たちから「ふざけんな、ケーサツだ。ケーサツ!」と飛び交った。これ以上生活テリトリーを縮小されたくない怖れからか彼等は真剣そのものである。時代遅れのハプニング野郎のハプニングな下半身を、駆けつけた警官が毛布にくるむまでを見届ける気も失せた私の足の向く先はそれでも花園。ここで乳繰り合う時代遅れの男女は皆仕込みでは?