牛尾の先に巨象が住まうんである

 11月9日、銀座テアトルシネマにてジャ・ジャンクー監督作品「世界」を観る。舞台は北京郊外のアミューズメント・パーク世界公園。文字通り世界中の名所と呼ばれるエッフェル塔凱旋門、貿易センタービルに五重塔からピラミッドにタージ・マハールまでもが10分の1スケールでモニュメント化された巨大公園である。経済成長めまぐるしい今の中国を物語るような場所である。
 かっては日本の郊外都市にも船橋ヘルスセンター、こどもの国、小山遊園地などといった「世界」にがぶり寄らんとする精力あふれるアミューズメント・パークがあった。それが今、北京の街外れにはギンギンに営業中であり、ともすれば「世界的にも」このようなギンギンはこれで最後になるのではないか。そのことを考えると実在する世界公園がこの世界の行き着く果ての果ての場所に思えてせつない。「テレビ中継によって十億人の国民を」巻き込んでのお祭り騒ぎができるのはこの場所だけであり、これが最後のお祭りになるのはほぼ間違いないのである。
 主人公タオはそんな世界公園で働く女性ダンサーの一人。各国から集まったあらゆる人種のダンサーは経営陣からパスポートを「預かっておいて」もらっている。そのために半ば自由を奪われているようだが、その辺りの描写はあまり突っ込んだものにはなっていない。あまり突っ込むと世界公園の協力なしでこの映画を撮らなければならなくなるからだろう。それもまた面白そうだが。
 ゲリラ撮りした世界公園の実景と、いくらなんでもどう見てもミニチュア丸出しの世界中の名所にわざとらしい昭和四十年代の合成技術で現れる役者たち。どうせミニチュアだから気分で燃やしたり水没させたり。民族衣装を脱いで毛布や寝ゴザにくるまったダンサーがねり歩いたり。ジャ・ジャンクー作品にみなぎるともすれば命懸けの茶目っ気は本作でも健在。実在しない人物の携帯の登録証をネツ造して何やら不正な荒稼ぎをしている与太者がタオの恋人タイシェンに向かって「なに中国には人間だけは大勢いるからな」と高笑いする場面などこっちがヒヤリとしたが。将来の不安に押しつぶされそうになると恋人タイシェンのブリーフを「見せて」と引っぱり中身をのぞくタオ。それだけで心が落ち着くらしいのだが変に可愛らしい。
 この変な可愛らしさだけは時代が何処まで進もうと北京女性から捨てさせたくないという作り手の想いが伝わってくるよう。「終りの終り」的シチュエーションの中で水を得た魚のように絶妙の作劇を繰り返すジャ・ジャンク−の精力源は彼の地の女性のあの変な色香だ。