小さき冒険尚も思案中である

 今年もまたウダウダと無内容な一年が過ぎようとしている。内容のあるコラムがなかなか書けないのは何故か。そもそも私の書いているものはコラムなのか。生活エッセイと呼ぶにしてもやはり無内容な生活振りだと自分で思う。大体財布に余裕がある時で、沖縄料理を食べてヌード劇場へシケ込む。あまり余裕のない時は名画座、ミニシアターでメンチカツパンを食べつつ主に高度経済成長期の邦画を観たり。全く余裕のない時は図書館で戯曲を読んで、芝居を一本観たつもりで冷水機の水をしょんぼりすすり帰る。休日のバリエーションこれだけ。たったこれだけの底浅な暮らしの中から内容のあるコラムを書くのは困難である。
 であるけれど、もしもある日突然、無内容コラムニストの肩をゴツイ資本がむんずとつかみ「世界の車窓から」みたいな紀行文書けやと命じられても恐らくは。やはり日帰り一万円以内のレジャーしか文章化できないしょぼくれに始まりしょぼくれに終るのだろうか。じゃあしょぼくれで。しょぼくれで引き続き行ける所まで行こうと思うのですが。何処へ行きたい訳でもないが、表面上行きたい所だらけ風で。行きたい所だらけのやりたい事だらけ。今からなんだ、これからなんだ風で。
 今年はまだ三週間ばかり残っている。その間に少しは冒険して内容のあるコラムを書いてみたい。冒険。ホモ映画館位しか思い浮かばない自分が情けない。鶯谷辺りのラブホ前に立っている砂かけばばあの様な中年ストリートガール。あれを実際購入してみるのは。男というものは人生の中で一度はそんな体験をしてみるべきらしい。これはいくらなんでもと脂汗をかくほどの最低の街娼と、そこをなんとか一通りのことをしてみろと。それは素晴らしい人生経験であり、結果的に男を磨くと。 
 誰がそんなことを言ったかって。梅沢富男がどっかの取材にそう答えてましたよ。つまり自身はそうして結果的に男を磨いたのだろう。何か目に浮かぶ。でも半分は好きでやってんじゃないのとも思うのだが。ゲイでもないのに男娼を購入してみたり女装クラブに潜入したりする自称不良中年。加納典明みたいなの。青春とは冒険であるべきだとは私のような男ですら思うことがある。しかし青春期を過ぎた男の考える冒険が、ついつい下半身に傾きがちなのが物悲しいんである。じゃあ下半身ネタ全廃で何か冒険を。二十年間自宅と目と鼻の先にあってたった一度も敷居をまたいでいない商店、飲食店が近所に数件あるのだが。そういう店にひょっこり入ってみようかと。店主は明らかに私を敵視しているのだがそこを満面の笑みで。