本物は昔も今も五時起きである

 12月20日ラピュタ阿佐ヶ谷にて渥美マリ伝説「モナリザお京」(71年大映)を観る。70年代の日本を代表するお色気女優の渥美マリの人気はここでも健在。当時からの中高年ファンより20代の女性客の方が目立つ位だ。渥美マリの人気は健在。が、渥美マリ本人が今現在、果たして健在であるか否かが不鮮明であるのがどうも。
 それで渥美マリ伝説と行きましょうと。行くのはいいんですけど。山本リンダ奥村チヨと違って渥美マリだけがどうして今では主演映画やレコードなどでしか触れることができないのか。こういう話になると私はあまり好まぬ表現だが「時代と寝た女だから云々」というくくりがつい連想される。実際スクリーンで見る渥美マリはこれ以上はないと思わせる程70年代的な容姿とファッションである。
 80年代後半位に観れば壮大なコントの様に笑えたかもしれない。今は笑うというより圧倒される。渥美マリだけが選ぶことを許されたかの様な栗色のカボチャ型結髪、サイケなワンピースとパンタロンも今現在全く同じものを複製してもやはりどこか違う何かが足りない「本物」だからだ。
 本作「モナリザお京」では渥美マリはホテル住まいの女スリを演じる。冒頭のシャワーシーンで大体どういう態度で観るべき映画かがわかる。ポルトガルで盗まれた幻のダイヤモンド“海の星”をめぐってのドタバタ劇の中に川津祐介演じる盗賊シャドーとの束の間の恋愛劇もありといった。それじゃジェームス・ボンドかと言われりゃそれまでだが。本家ボンドからすれば子供のお小遣い位の低予算で強引に盛り上げた感。でも今30年前のボンドもの観るか渥美マリ観るかったら、ねぇ。
 そしてドツキ漫才で当時は大人気であった正司敏江もお京のライバル役で登場。そして私は当時も今もオバハンだと思っていた正司敏江が本作では確かに若いことに気付いた。肌の張りも色ツヤも瑞々しくまだまだ若ピチの正司敏江というのも逆に気色の悪い物であった。
 が、渥美マリは今現在どんな容姿をしているのだろう。シワクチャの老女になり自然保護活動に飛び回るブリジッド・バルドーを見ても私は何も感じないのだが同じ様に渥美マリに再会してしまったら。いや渥美マリはバルドーではない。ホテル住まいの女スリも映画の中でのこと。ひょっとしたら同じホテルで今は清掃局員をしているのかも知れないしもっともっと不幸なのかも知れない。非常に冷たい言い方をしてしまうとそうした渥美マリの不幸は彼女の商品価値の中に大きく含まれるということ。それを以て「本物」なのだということ。