あの日に帰るには要ヘルメットである

 9月30日、アテネ・フランセ文化センターにてドキュメンタリー・ドリーム・ショー山形in東京2006、小川プロ『三里塚の夏』を観る。盛況だった。客層は学生中心で海外留学生の姿もちらほらと。小川伸介の残した作品群はこれからドキュメント映画を作ろうとする若者らにとって誠にバイブルと呼ぶにふさわしいのだろうか。
 私も20年程前にはまだ学生の身であり友人らと映画サークル活動に熱中し何本かの8ミリ作品を作っては都内の小さなフリースペースで上映会なぞ開いたりもした。が、その頃の私はドキュメント映画界の巨匠、小川伸介の存在は何となく知っていてもその作品に触れたことはなかった。勿論一度は観ておくべきものであることは承知の上で。
 なぜ当時小川プロ作品の上映会に私は出向く勇気がなかったかといえば会場に待ち構える様々な政治団体自治会の面々による勧誘が怖かったからである。それらは小川プロの出資者達であったりなかったりもするが映画にからめて参加者を募っているのだった。そしてその映画とは三里塚反対闘争のドキュメント映画なのでありその上映会の帰りにそうした人々に参加を呼びかけられるのはごく自然のなりゆきと思わせられていた。
 たった今『三里塚の夏』を観てきたくせに運動に全く興味がないとは答えにくいだろうしまたそんなおよび腰なことが言えるような作品ではないことは想像できた。そのように学生の頃は距離を置いてきた小川プロ作品を今にしてようやく観た。勿論ショックを受けた。これを二十歳そこそこの自分が観たとしたら、上映後に運動に参加を呼びかけられたとしたら。
 武蔵美の学生時代に一度だけ頭脳警察でドラムスを募っていると聞き実際声もかけられ正式メンバーになりかけた高橋幸宏のエピソードを私は思い出す。バリバリのポリティカル・バンドでドラムを叩く高橋幸宏極左の人、幸宏。そうなっても不思議じゃなかったかもなどと他人事のように笑って語る現在の幸宏と小川プロ作品に今の今頃拳に汗にじませる四十男の自分を比べてみる。人生なぞどこでどう転ぶかはねるか当人にだって全く見当がつかぬものであるなぁと思う。
 その日、9月30日のJR上野―有楽町間を走る山手線車内にて手前の座席の男が広げたスポーツ紙の中に私は初めて丹波哲郎の死亡記事を見つけた。晩年の丹波哲郎と石井輝夫監督の遺作『盲獣vs一寸法師』で共演している平山久能なる俳優。彼の20代のニックネームはわんやさんだ。わんやさんと私とはかっての劇団仲間だが平山久能なる人物には慎んで黙秘権。