鬼の居ぬ間に同情票集めである

 10月22日、日曜日が珍しく休日に。10時頃むくむく起き出し駒込、田端、根津へと歩く。途中のちょっとネチっこい古本屋にて角川文庫『戦争を知らない子供たち』(北山修 著)を三百十五円で入手。家主のエイチが北山修のディスクジョッキー時代のエッセイ本が最近なぜか人気あるんだよと言っていたのを思い出した。
 私にせよ今なんで北山修が読みたいのかと問われてもはっきりとしたことは何も答えられないのだが。ぼんやりとしたことでも何か言えやと追求されたなら北山修って寺山修司と名前も似てるし世代も近いし実際交流もあったし位のことなら。テラヤマの著書の再編集本は止めどもなく現在も次々と書店に並び続けているがしつこく読みあさればどれも内容的にはかぶっている訳でいささか食傷気味の感も。同じ時期に脚光を浴びていた論客でキャラクターもやや重なる北山修に若い世代の寺山ファンが浮気したくなるのもまた人情かと。シルバー・ビートルズって一度じっくり聴きたくてといった探求心に近いんじゃないかしら。
 パラフィン紙のカバーって今珍しいわなと『戦争を知らない子供たち』の文庫本をめくったのは根津の住宅街の一角にある大名時計博物館の館内。博物館といっても小学校のプレハブ校舎程のスペースの四方をぐるりとガラスケースが囲んでありそこに展示物が置いてあるだけだが。キティフィルムの学園ドラマ映画の端役でも似合いそうなつまり20年前の商業劇団員のような不可解なルックスの青年が一人受付で勉強をしている。大学六年生位かしらん。何となく代って欲しくなる呑気な受付と私の他に利用客は一組、二組。共に近所のひまな老夫婦のようだ。
 近くの区民ホールで落語会があるらしいのでついでにのぞきに行った。地下ホールは超満員である。立川流の若手三人が来るらしい。立川平林(と書いてひらりんと読む)はまだ随分と若い。根津は家元のホームグラウンドですけれど今日家元は仕事で地方にいるのでブラリと現れる心配もございませんのでと割とのびのびとした様子で。普段はさぞツライ日々なのだろうなと。その格好のいじめられキャラに思う。やはり大学の落研みたいな所から入門を決意したのだろか。
 今時の二十代で落語を生業に選択するというのも彫師、縄師同様に飛んで火にいる感があるが立川平林は正にそんなサヴァイバー然とした線の細さで好感が持てた。将来無望。いつかちゃんとした寄席でじっくり観ようかと思う立川平林。本当は家元よりも快楽亭ブラックの方が数百倍も恐ろしいのだろうなと気の毒になったり。