私だけの演歌の花道だったのである

11月9日、根津へふらりと。動坂近くのおにぎり屋で明太子にぎりを一つ。最近はこうした街の片隅にしゃなりと建てられたグルメなおにぎり屋が増えた。良質のお米がダブつき始めたというか日本人全体の米離れの反動なのか知らん。売れなきゃ何であれ安く叩き売られてしまうものならその機会を待ってふて寝決め込むのも得策かと、も、思えないのがかのセコハン業界。
先日、池袋のレコファンにてサニーデイ・サービス坊っちゃん刈り時代のミニアルバムが一万四千円で売られていたのを見つけた。同じ物を五年前に王子駅前の今はケータイショップになってしまったCD販売店で無論定価で手に取ったことがある。その当時としてもこんなの今ミディ作品と一緒に店頭に並べられると気持ち悪いよなと違和感隠せず入手にいたらなかったのだが。
今思えば気色悪かろうが違法臭かろうが手に入れておけばよかったのか。しかし『若者たち』から入ったサニーデイ好きにはひょっとしたら聴かなきゃよかった毒性の強い半未発表作品であるのかも知れない坊っちゃん刈りSDS。
動坂周辺に来ると必ず寄ってしまういつもの古本屋が神田の古本まつりで何ぞ特別賞のようなものをおかげさまで云々といった広告がウィンドーに貼ってある。やっぱりちょっとしたものらしいのだこの店。私なぞ古本マニアとは程遠い只の徘徊男なのでその蔵書レベルの高さにはまるで気付かず。
ワゴンセールの中から今日も五百円位で何ぞないかと物色して見つけました。『音楽少年漂流記』(細野晴臣 新潮文庫)を三百円で。細野さんと9人の女性アーティストの対談集。中島みゆき大貫妙子矢野顕子都はるみとそれぞれ深いような浅いようなおしゃべりと心理テストなどを繰り広げている内容。
私が80年代末のこの対談集にとりわけ惹かれたのは冒頭の細野さんのあいさつ文、「ぼくが生れて四十年―」にピクリとなったから。写真もはさみ込まれていて四十才になったばかりの細野さんはまだついこの間まで青年だったような佇まいでそこに居る。四十才になりたての頃とは誰しもこんな風に中途半端にうら若いものなのか知らん。と、すれば今の私にも同じ様なついこの間まで青年だったような、でも今はなんだ、なんなんだアンタといった気色悪いっちゃ気色悪い中途半端な若さが残っているということなのか知らん。
ところで本書の中で一番今となっては時代遅れな容姿を後世に残してしまったのは宝島モデルの様な極太眉毛とグランギニョルな退廃ファッション姿の越美晴。それには何かホッとしたり。