賞味期限四十年切れの玉手箱である

10月27日のこと。池袋新文芸座増村保造の『でんきくらげ』と『しびれくらげ』を観た後に、大鳥神社にふらりと足を伸ばした。その大鳥参拝時に私の目前をラフな背広に夏帽姿の唐十郎似のおじさんがするりと現れた。
私はおじさんの背後に並ぶ形で参拝を済ませると、神社の方角のベンチの越をおろしてカバンの中の中華まんをむしゃむしゃやり始めたり。ふと見やれば神社の境内にはテントが張りめぐらせてあり、既に受付台では若い劇団員風の女子達が何やら準備に追われているよう。何か見世物か啓発セミナーのような催しが始まるのねと思いつつ、私はそちらの方をながめつつ中華まんをむさぼり食っていたが。
やがてテントの受付台にさっきの唐十郎似のおじさんが再びするりと歩み寄ると受付の女子達ははたと背筋を正しておはようございますと大きな声で出迎えた。と、この時点まで私はこの唐十郎似のおじさんを単に唐十郎を意識したアングラ芝居好きの演劇ゴロかと思っていた。
その日テントで上演される舞台のことも紅テントを意識したしょむない無名劇団によるどっかで観たような台詞回しだらけのしょむない芝居なのだろうなと思っていた。で、やれやれと越を上げ大鳥神社を後にすることにして神社正面口を抜けた所でふと目についた立看板には唐組公園、『透明人間』29日まで、とあった。どうも本物の唐十郎と唐組のスタンバイにお邪魔してしまったらしい。
何だか悪いことしちゃいないけどつらつら考えちゃったと重い、付近の古本屋、往来屋にもぐり込む。おわびにといっちゃ何だが唐十郎氏の著書をひとつと。古本屋で唐氏の本を何冊買おうと唐氏にはビタ一文戻ってこないが。
私だって当の唐氏に向って唐十郎に似てねぇか何か直接たわけた口をきいた訳ではないので、これでチャラかと。が、その日の往来屋には随筆コーナーにも演劇コーナーにも唐十郎作品は見つからなかった。
ふと新潮文庫『土曜夫人』(織田作之助)が五百二十円で売られているのを見つけてヒクとなる。たった今すれ違ったまだピンピンしている劇作家唐十郎と小さなつながりを持ちたかった欲求はこの時点で沈下。昭和四十一年、三月五日、二十九刷の私自身より半年年上の『土曜夫人』とぜひぜひつながりを持ちたくなりたまらず会計所に。
四十才の『土曜夫人』からは私の少年時に覚えた古い本のあの匂いがする。古びた少年ジャンプとはやはりワンランク違う気持ちアカデミックな加齢臭の『土曜夫人』を今しがたようやく読み終えたが。オダサクの伝記映画が準備中だとかでそっちの方が楽しみかと。