マスター、プラッシーおかわりである

いい加減に引っ越しちゃどうだと家主のエイチにも心配されている私の住まう仮設住宅の押し入れを数年振りにガサ入れしてみると。真っ先に発掘されたのが甲斐智枝美写真集『つれてって』であった。
イムリーったら不謹慎かもしれないがどうだろう。チェミィの追悼ベスト盤なんてきっとこれから先も出ないよねぇ恐らく。『逃れの街』くらいは浅草辺りで思い入れひとつまみに例の阿呆ランダムな邦画三本立の中に加えてあげても。何かねぇ、チェミィが悪いんじゃないと言いきった所で、というのはあるけど。同世代のつかれた主婦層が後追い自殺を図ったような話も聞かないし。やっぱりチェミィが悪いんじゃないと思う。追悼盤も特集上映もいらないか、もう。
82年発売の本作『つれてって』を文字通り、言葉の正しい意味で本屋さんに走り購入した時の私は中学二年であったか。定価千八百円というのは当時の私にすればどんなものだったのか。洋楽の廉価盤LPが一枚買える値段だった訳でクラプトンやロッド・スチュワートイーグルスといった大御所のどうでもいい凡作にそのくらいの値段がつけられ当時売られていた。レコード棚に一枚でも多くのなるべく有名なアーティストのアルバムが並びさえすれば気が済んでいた思春期の私はそうした凡作の再発ラッシュにまんまと躍らされ全然パッとしない内容のそれら凡作を夜な夜なヘッドホンでかみしめるように聴き込んだ。
それら洋楽の凡作群とチェミィのフルヌード写真集が当時の私にとって等価であったかどうか今では思い出せない。が、今本作『つれてって』を見返してみて思い出したことがある。クライマックスのフルヌードシーンの中のワンカット、シャワールームでお尻をこちらに向けて振り向くチェミィのツゥポーズが並ぶページだ。このページがパックリと押し開かれて背表紙まで真っ二つに裂けてしまっているのだ私の『つれてって』は。これを当時私の部屋に出入りしていた同級、下級の悪童のイタズラというかレイプ行為と断定して私は怒り狂ったが逆に笑い者にされたことを今思い出した。ふがいないと言えばあの頃から私はまるでふがいないのだった。チェミィにすまない、昔も今も。
ところでチャゲ&飛鳥とか桑田佳祐とか『つれてって』以前のアイドル期のチェミィをフォローしたがっていた有名ミュージシャンは結構いたのにそうしたロック寄りの聴き物アルバムが一枚も出なかったのが今にしてみれば残念である。楽曲に全然恵まれてなかった気もするがそれ以上に舌っ足らずの音痴であったか。当時流行っていたオールディーズの焼き直しなども強引にカバーしていたそう言えば。そう言えばあの頃は新譜のプロモーションとしてテレホンサービスで曲のさわりと歌手のメッセージと近況が聞けるというものがありよく利用したが。その歌手のレコードを今持ってない所をみると宣伝には引っかかっても結局買わなかったのか。チェミィの人気と実力は残念ながら結局買ってもらえない組のトップといった感があったような。
 そうした伸び悩みの果てのフルヌード写真集発表であったっけと今さら過ぎる回想にふけりつつページをめくる。そう言えば福岡出身って当時は公表されてなかったような。シティーギャル路線で行きたかったのかしらん。いずれのカラーに当てはめたにせよどこか無理があって本人も半分あきらめているような所が世間的にはダメであり私には捨てがたい魅力であり。捨てられぬ。