チョコバナナの誘惑にすら赤面である

2月20日の夕刻には神保町のロザリオでカフェオレを飲んだり。行きつけの中古ビデオ屋にて『胸さわぎの放課後』を二百円で入手したり。昭和57年の東映作品で主演はひかる一平、相手役には本作のためのオーディションで150名もの応募者の中から選ばれたという坂上とし恵。この時代にはこうした数百人、数千人の中から選ばれた云々といった売り出し方をされる新人アイドルがまだ多かった。
今もこうしたオーディションはあるにはあるがさほど盛り上がってはいないような気がする。自分には商品価値があると思うがどうかとそうした場に集結する昨今の若者の大部分がいわゆる「自分以外は全てバカ」意識を持った只のの目立ちたがりで現実には箸にも棒にもひっかからない者が大半なのだろうことは想像がつく。
もう一つ想像がつくのは昨今の企業キャンペーンの一環として展開されている貴方の身の周りの素敵な笑顔を紹介してください的な写メール集めが実は芸能プロダクションとそうした企業が手を組んだ大オーディションなのではないかということ。あの位の規模の大網を投げ込めば自分には商品価値があると自分ひとり思ってるだけの人物以外の獲物に出逢う確率もずっと増えるからである。
ところで私が本作『胸さわぎの放課後』をつい入手してしまった理由はひとつ。自分は昭和57年にこの学園ラブコメディ映画を確かわざわざ劇場で観たよなという小さな記憶の断片にぴくりとなったからである。一体何のきっかけでこんな映画を観に行ったのか今ではさっぱり思い出せないのだ。
ひかる一平に当時あこがれていたなどということも全く考えられないでもない。家主のエイチが以前語った「そういえば知り合った頃の君は今と全然違う只の生っチョロイ普通の高校生みたいだった」という発言を思い出したからだ。20年以上前の自分のパーソナリティなぞそうはっきり覚えていられるはずもない。エイチがそう言うのなら私は只の生っチョロイ普通の高校生でありひかる一平にぞっこんで『胸さわぎの放課後』を勇んで観に行っていたのかも知れない。
そして私はこのビデオを例によってまだ観れずにいる。今度ばかりは『お墓と離婚』よりも自身の忘れていた何か今では耐えきれないほど不快な青春像が生っチョロく顔を出してしまうのではないかと。少なくとも埼玉くんだりから同郷の女のコと週末の原宿竹下通りを所持金五千円足らずで行ったり来たりなどということを当時は平気でしていたのだ。私自身の胸さわぎの放課後が今晩辺り夢に現れそうで正直眠れそうもないのだ村生ミオよ。