行きがかり上今日もみちづれである

11月26日、あまり乗りたくない大江戸線に乗って門前仲町へ。都内の交通網またぞろ複雑化進んでいるようだがもういいじゃないかと思う。新東京タワーなんかももういいじゃないかと思う。言うまでもなく東京オリンピックについても。青島都知事のように自身の力で無謀な政治がらみのイベントをやらせなかったというのも立派な仕事として後世に残されていいはずだのに。私がやめさせましたというのは当人もあまり胸を張ることもなしに忘れられてしまい私がやらせましたというのは当人だけは少なくともこれで勝ち越しといった風で。東京オリンピックによってふたたび東京の街並みもかわるのだろうか。かわるのはいいとしてかわり方というのがもう見えきってるような。新有楽町駅前みたいにかわるのだろう。さいたま市的にこざっぱりとスコーンとかわるのだろうけど。あのムード全然心安らがないという人も少なくないと思うのだが。そういう人は浅草辺りのリバーサイドにでも流れてくださいということか知ら。あぁそうかいと深川不動堂へ。「南かなこ ど演歌ストリートライブ」に。いつものように深川を舞台にした『木遣り恋唄』から始まったが。例によって平日の正午にどこからともなく集結した元気な老人たちに囲まれた南かなこはおつかれ気味であった。年明け早々にホールコンサートと新曲発表とアルバム発表があるせいかと。人前で歌うことだけが歌手の仕事でもないだろう。その方の何やかやで受けたストレスが隠しきれない今はピンチなのかとも。今さら言うまでもなく私は南かなこを応援しているのだが。ハッキリと実入りのないストリートライブに体力を奪われていく彼女を見てそれでお前はどうなのかとも。また欽ちゃん問題掘りかえすつもりもないが。行きがかり上走り続けるしかない小さな星をただ見守るしかないのかとも。牧村三枝子の『みちづれ』のリクエストを受けて「この中に結婚されている方はどのくらいいらっしゃいますか」と問いかけた南かなこ。自身のプライベート運のようなことをチラッと考えてしまったのか。三十歳を過ぎても歌暮らしを続けているのはいかがなものかと五十歳を過ぎている小林幸子にごちれるものなら。ごちれるかと。黙して走り続けるしかないと。ブラジル出身日系三世の南かなこは瞳の色だけが日本人離れしている。瞳の色や吹出物まで肉眼で確認できるうちはそれは小さな星とすら言えぬスターダストなのかもしれない。切った張ったで追いかけている訳じゃない二十名弱の裸の聴衆と裸の演者。このみちづれはどうか。