あの頃、晴れのち出来んボーイである

新しく更新された保険証が自宅に届いたが別に健康状態は今のところ問題ない。それでもヒマつぶしに腰が痛いの目がかすむの吹いて病院に入りびたろうかと少し本気で思ったり。どうもメンタル面での徘徊老人化が進行中のよう。人間は一人でいると大人にも子供にもなってしまうものとは藤原新也のエッセイの一文か。
どうせなら子供に帰ろうと真新しい保険証持参で地元のTSUTAYAへ。会員証(ビデオレンタルのみ有効の)をつくって今日は『ションベンライダー』を。相米慎二の83年作品。『セーラー服と機関銃』の大ヒットの後に撮られたアイドル映画の小品。いや、そもそもは三時間半の超大作である本作は公開時に吉川晃司の自伝映画の併映作品にとの条件下で半分以上ものカットを強いられていたのだっけ。
が、そんな裏事情は知らない十代の私は本作を初めて観た時は何がどうしてどうなったのか理解不能であった。当時の観客の反応の大部分がそうであったろう。その後、10年、15年、20年と思い出したように本作に触れたくなってしまうのは何故か。全体のストーリーがわかった上で再観すると役者陣のガンバリが痛いほど伝わってくるというか。誰も死ななくてよかったと思えるパツイチ勝負のアクションシーンの数々につい胸を打たれてしまうよな。
思い出した。昔は違った。私個人としては違った。そういうのハッキリと嫌いだった。夢の遊眠社の舞台の片隅で股上腹筋のような体勢のまま2時間近く肉体オブジェを演じた伝説の女優の話とか。「そういうの全然わかんないよ」などとプラモデル用の金粉スプレイを迷わず染毛に利用する私も多感な頃だったのである。役者の肉体も精神もシゴきにシゴいて最後にしぼり出されたキワキワの演技に思わずこちらも息をのんでしまうような。そういうの全然わかんなかったはずの私が今は相米作品にボロ泣きしてしまうのは。
相米作品にボロ泣きする私と『バラ色の珍生』にボロ泣きする主婦層とどこが違うのかとも。相米演出とバラ珍一緒にすんなよとは思う。思うが「そういうの全然わかんないよ」と相米演出に引いていたもう一人の私はその後どこへ行ったのだろうかとも。河合美智子みたいなタイプってその後もポツリポツリと現われては消えていくよなとも。支持層に幅がないのかなとも。幅狭いのかなとも。東京少年とか。そういうの全然わかんなかった頃の私はそうしたズーレビアン系アイドルに結構夢中だったのを今思い出した。ずい分と二重三重にトーサクしてたような。もう一人の私はその後黒鳥の湖へ旅立ったそう。