あしたのジョニーは準構成員である

2月22日、神保町「タクト」にてジョニー大倉『DJが眠ったあとで』を購入。全作詞を阿久悠、全作曲をジョニー大倉が担当し全編曲を後藤次利が担当した本作が発売されたのが81年5月21日。ロック歌手、ジョニー大倉のひとまずラスト・アルバムであり当人いわく「企画モノ以外の何物でもない」営業盤である。
2大ヒットメーカーと組んだ力量たっぷりのはずの本作の内容はおののくほど地味というかロックンローラーから俳優に転身を果たすまでの失業手当のような。しかし本来こうした負け犬キャラはジョニーの持ち味でありなかなかそのしょぼくれ振りはまたこれ魅力である。当時から嫌でもライバル視され続けていた矢沢永吉の海外進出期を連想してしまう後藤次利の気持ちウエスト・コーストな編曲も良い。いっそ向こうがロス録音ならジョニーは香港辺りで本作を録音してもらいたかった。ま、そこまで洒落のめす余裕など当時のジョニーにはなかったのだろう。
紅白歌合戦をブッ飛ばすはずであった『ニューイヤー・ロック・フェスティバル』のテレビ中継に登場した当時のジョニーはハッキリと汚れすさんで吠えていた。今NHKを観てる連中は俺の歌なぞ知っちゃいない、いいさ!といったアオリを誰にともなく寒々しい客席に投げかけてはんじゃあその俺の歌、自分で作った歌!を不機嫌そうに歌っていた。当時中学生だった私にはそんなジョニーの態度がまだまだ不良少年で通すべくポーズってる風に見えた。が、今にして思えば明らかに待遇の悲惨に向けてのブーイングかと。
入るべき金がどこをどう迷走しているのかさっぱり手元にはやってこないまま現場では連日汗まみれの出稼ぎ労働者のような自身と向き合うつらさか。そんな自身に見切りをつけたいが見切りは一度つけたジョニーは負け続けのレースを降りられない。『ホットな夢にしてくれ』で歌われる都会の片隅に涙流して眠る不幸な少女とはあの頃のジョニー自身と言ってよいだろう。死ぬことはない、泣くことはない、しかしルイードで自分で作って歌うたってりゃいいってもんじゃない迷走期のジョニーだった。が、本当に死ぬことはなかった。本作から柴田恭兵の兄貴分を演じて脚光を浴びた映画『チンピラ』まではあと少しなのだ。
『ファンキー・モンキー・ベイビー』の詩作には何やら宇宙的宗教的インスピレーションを感じたというジョニーだが『チンピラ』への出演は同じくらいの好機だったと思う。あの作品がなかったら今頃保積ペペを見る目で見られてたかもしれないジョニーは案外ラッキーメンさとすがる涙橋。