なめ合う傷など持ちたかないんである

いまや音楽はダウンロードで一曲なんぼの時代とか。その様な時代にラジオから流れてきた楽曲に心ひかれてCDショップに走ろうとは。GOING UNDER GROUNDの『初恋』をFMで偶然聴いてついつい胸がキュンとなり池袋のHMVへ。
GOING UNDER GROUNDというグループについてそれまで何も知らず20代半ばの伸び悩み中のJ−POPバンドかと思っていた。かってGSグループが落ち目に入ると往年の昭和歌謡を変なタイミングで無理やりカバーさせられていた。それと似たパターンで当人たちの意向とは別になぜか今になって村下孝蔵のカバーを押しつけられているのかと。それが結構な熱演であることに哀愁を感じてしまったのだった。が、『初恋』はHMVの売れ筋コーナーにディスプレイされていて伸び悩むどころかまだまだ驀進中といった感。ジャケには提携CFに出演する堀北なんだっけかの海辺で涙ぐむフォトレ。このジャケ写にアーティストと関係ない有名人のフォトレを使うセンスって国内では最近ようやく認可されたような。堀北のCDと間違えて買っちゃったじゃないですかなどというクレームは甘んじて受ける一曲なんぼの時代の恩恵か。
83年に村下孝蔵が『初恋』をヒットさせた頃の反響には忘れかけていた叙情ロマンといった持ち上げとイモっぽいオジンの感傷といったコキ下ろしと両極あったような。ゴーイング版『初恋』にもそうした無防備なひたむきさは感じる。どうもメンバーはそれほど若くもないらしい。村下ワールドに照れも嫌悪もなくすんなりと同化している。やってる人間に照れや嫌悪があっては聴いてる人間はたまらないとは思うが昨今のカバー演奏にはそうした失敗作が多いような。ゴーイング版『初恋』は取り組み方も仕上がりも大成功かと思う。思うがそうなると只こうしたセンチメンタリズムにウルルと一人よがるには抵抗があるような。
以前に岩崎良美の『タッチ』のカバー曲を新宿ニューアートの舞台で新山愛里けなげな熱演によってふたたび聴いたときのインパクトは忘れられない。汗と涙が青春なら涎と精液もまた青春と思い知らされた気がしたのだ。ゴーイング版『初恋』もストリップショーのBGMとしてふたたび観聴きしたときこそ陰陽両極の凄味を持って私の心を揺さぶるのだろう。堀北のストリップショーがお望みか。好奇心ってどうしたってそこまで行くものだがまだそこまではと思う私はもはやイモっぽいオジンなのだろう。しかしオジンの感傷に付き合ってくれる現役のティーンなど信用できない気も今はするが。