心情ややあの時を忘れないんである

5月15日、白山辺りを宿酔いでウロチョロする内に便意をもよおすが。似たようなシチュエーションでトイレを探し求めるがあと一歩で失禁しノーパンで人目を忍び小走りに帰った過去も何度かある。またノーパンか、歌謡ロック期のチャーみたいで格好いいかとも。が、もうモノが排出するかしないかの数十秒以内に少なくともトイレのある建物の中にいなくてはならぬ状態がやってきた。
横断歩道で隣り合わせた東洋大生の女のコらが私のトリッキーな腰の動きにクスクス笑いを浮かべる。私はラッキー池田のごとくクネクネと動きつつ彼女らに笑いかける。だが平成っ子の現役女子大生にラッキー池田はどのくらい印象深いというのか。昭和っ子の我々にとっての東京ぼん太くらいのものかとも。他人に危害は加えない不審者と思ってくれたらそれで充分かとも。今はそれで充分、あぁ充分だと私は東洋大白山キャンパスの中へ闖入。
大学関係者でもない人間がそんなことをしてもいいのか。だが私も今から20年前には同じキャンパスに籍があったのでトイレくらい借りてもいいかと。で、早々に1階トイレに駆け込みことなきを得た。人心地ついてから周囲を見回すと現在の白山キャンパスのトイレは20年前の渋谷のブティックホテルのよう。20年前の渋谷のラブホ事情にお前が詳しいわけがないだろうと思われる向きもあろうが。あの時代のドラマ仕立てのAVを最近になって集め始めたので。
とある店ではどれでも五百円コーナーに放り込まれていた品が別の店では一万八千円などとブチ上げられている例に私もエビで鯛が釣れないかと。そういうのエビで鯛を釣るとは言わないかとも。仮に五百円で入手したブツを同じ品にウン万円のプレミアを付けている店に持ち込みこれも一万円くらいで買ってくれますかと交渉しても受け入れてくれないのは私にもわかっている。世の中は悔しいものなのだと。あ、トイレの話か。とにかく白山キャンパスのトイレはそのように近代化というかラブホ化されていた。
ついでに学食ものぞくと五百円でエスニックカリーからイタメシまで揃っているのは私にとって踊る大龍宮城というか。私の通った学食は「トラック野郎」シリーズに登場するドライブインと大差なかったはず。当時としても暗くマイナーな印象であり少しでも金のある学生は正門前のキッチンタイガーをを利用したが。少し前に訪ねてみたタイガーも今にすれば「俺たちの店」であり時の流れを感じた。もしかしたら平成っ子の現役学生らはリニューアル前の松屋のあの真っ赤なしょうがの色も知らないのかと広東訛りで。