案外そろそろ帰ってくるんである

5月21日、テアトル新宿にて『タカダワタル的ゼロ』を観る。監督は白石晃士であるがタナダユキ監督による前作『タカダワタル的』とかぶる映像も所々。続編を撮ることになったとて高田渡に本当に帰ってきてもらうわけにもいかないので仕方ないか。
吉祥寺ハセやで酒を飲みながら語るシーンなど前作より本作の方がクールな視点というか気持ちマッチョというかほとんど廃人のようにオダを上げる高田渡を真正面から撮っている。タナダ版では使われなかったが白石版では使われている映像は高田渡と細君のおしどり振りと『私の愛車』である三輪式ママチャリか。前輪のホイールにちゃんと高田渡と書いてあるのが当たり前なのにおかしい。
そして本作のメインは何といってもライブ。2001年の大晦日に下北沢スズナリで行われた年越しライブは元旦生まれの高田渡にはバースデイライブにもあたる。正月のもちは老人にとっては命取りだがうちの奥さんなんかもお父さんおもちはいくつにしますかなんてにっこり聞くからゾッとしますがなどといつもの語り口で曲間に笑いを集めたが。この日のゲスト泉谷しげる東京乾電池のメンバーらも高田渡とは同級生みたいなものなのに高田渡だけ老人ネタが板についてしまっている。おそらく古参の落語家のようにもういつ向こうへ行くかわからない健康状態を自身のキャラクターの柱にして残りの歌手人生を歩き続けるプランはあったはずだ。
56歳とは若すぎる惜しいとは思いながらも面会謝絶Tシャツを着てよろよろと舞台あいさつに現れたあの日の高田渡を私はどのように愛していたか。今にも死にそうな自身を登録商標化してはおどけていたのは高田渡ではあったがアオったのは私たちでもあるわけで。テアトルの受付をくぐった時に20代前半のオシャレで可愛らしい女の娘が「高田渡1枚」と目の前を横切ったが。本作のインタビューシーンでも「前は40代50代の年寄りばっかだったけどここ数年20代の客が増えてるの。がんばんなきゃなって」と高田渡は語っている。40年近いキャリアの後半も後半に自身がデビューした頃に生まれたファンがついてきていることは歌手としては幸福なことだ。
「ありがたいことだと思ってます」とあの日同じ劇場で客席に会釈した高田渡はもう帰ってこない。「ありがたいこと」があの日以来雪ダルマ式に1人のよれよれの壮年の体にのしかかり受けとめきれなくなってしまったのだ。本作でやたらコワモテ然としている泉谷しげるの胸中にはこの男の方が自分よりロックなどということがあるわけがという焦りがないか。