五社英雄は遠くになりけりである

6月20日、シネスイッチ銀座にて『丘を越えて』を観る。監督 高橋伴明、脚本 今野勉、原作 猪瀬直樹。昭和初期の文壇を描いたレトロ遊園地のような娯楽劇といった意欲作。西田敏行演じる菊池寛の秘書であり作家の卵である下町育ちのテキ屋の娘、葉子役に池脇千鶴。この池脇千鶴に写真だけだとまるで瓜二つのアイドル女優が最近出てきたが。正直まるで区別がつかない私はそれだけオッサンなのだろうか。本作のテーマがオッサンの純愛と呼べなくもない内容なので変に安心しているが。
そのオリジナルの方の池脇演じる葉子の人柄に夢中になった菊池寛は「女は他所にも何人かいる。皆、気の毒な女性で」ありながら50歳までには死んでしまうだろう私のそばにいて欲しいと哀願する。当の葉子は朝鮮出身の編集者、馬海松と恋仲にあった。西島秀俊演じる馬海松なる人物は菊池寛に拾われた雑誌編集者ではあるが母国では貴族社会にあたる階級の高等遊民である。編集の仕事はほとんどせず遊び呆けたり活動家や詩人と付き合って刑事にマークされたりする生活を楽しんでいるよう。ほどほどの所でそうした無頼な青春から足を洗って母国の貴族社会に舞い戻るつもりであるから日本人妻をもらうわけにもいかない。その辺りの事情もすべて呑み込んだ上でやはり葉子を残された人生の良きパートナーに迎えたいのが菊池寛の本音のよう。それはそれで虫がよすぎるようだが西田敏行が演じたことで大人のロマンスとして成立しているような。
いや本来大人の文芸群像劇とはもっと濃厚なキャスティングと壮絶な濡れ場の選り抜きハイライトシーンがまんま週刊プレイボーイのグラビアに登場するものでは。もっと油っこく、もっと早乙女愛をとも思ったがそうした文芸モノっていつの間にかまったく作られなくなってしまった。本作では葉子の母親役の余貴美子のあけすけなキャラクターにのみあの頃の文芸モノを思い出させられたが。
あのような文芸モノが市場から消えた理由はやはり客がついてこなくなったからか。しかし高橋伴明はもしも世が世ならあの類の文芸エロ作品を今ようやくガンガン撮れる大家になっていたのかもしれない。月刊シナリオ誌上にて佐藤忠雄がつまらなくはないがもっと硬質なドラマにもなりそうだった点が残念というような評を本作に寄せていたが。実在の昭和の文豪を扱っているのであまりえげつない部分まで描けないのかしらんと私なぞは思ったが。集客さえ見込めれば今でもかっての文芸エロ大作は作れるし作りたいのだと思う映画会社は。第三世界に輸出してもいいのだし。