男のけじめに彼女は引いたんである

8月25日、池袋シネマ・ロサにて井口昇監督作品、『片腕マシンガール』を観る。井口昇のメジャー作品を観るのは初めてであった。前日にTSUTAYAで『愛の井口昇劇場』なるインディーズ時代の小品をまとめたDVDをレンタルして観たのだが。その中のごく初期の8ミリ作品『わびしゃび』には忘れていた胸キュン感覚を引きずり出されたようで滅多に劇場で金を払って観ることはないB級スプラッター映画に足を運んでしまった。胸キュンさせてもらったお返しに。
『わびしゃび』の何がキュンときたかといえば若き井口監督のむき身で捨て身のそのディレクションぶりか。高校卒業後も可愛がっていた後輩の女のコが忘れられずゲリラ撮影に挑む監督。好きな女のコをただ撮っただけのありがちな個人映画とは違うと気負いつつもありがちな愚作を撮りそうな自身に喝を入れての二度目のゲリラ撮り。わざと接写用のレンズだけを持参した監督は30センチ以内に寄らないとピントが合わないからとガチガチで彼女に説明した後にアップ撮影を始める。
「ボ、ボクは誰かな?」「井口先輩」「うん」などといったうわずり気味のやりとりが30センチ以内の寄りサイズの中で続く。どちらも多少なりともあるいは引き返せない位の所まで反応しているのが伝わってくる。私は井口ディレクションによるAV作品を未見だがこのシーンには十代の性衝動というか放課後の青春というか忘れかけていたあの甘酸っぱい感覚を思い出させられた。それだけで大林宣彦監督同様この8ミリ作品を持ち上げずにいられなくなった。が、私なんぞに持ち上げられてもしょむないことかと苦手なスプラッターにこの日は向き合ったのだが。
アメリカ資本のB級スプラッターである本作には気分が悪くなったらトイレで吐いてくださいといった前説が付く。残酷描写だけでなく目がチカチカする視覚効果もあるのでということだが。だったら他にもっと集団催眠とかサブリミナル的な仕掛けも用意されてるのではとも思ったが。『わびしゃび』で憧れの彼女を思うように撮れずもがき苦しむ監督はそれでもこの8ミリ作品を撮りきることは「男のけじめなのだ」と最後までねばりきるのだが。
『わびしゃび』から『片腕マシンガール』までの道程は安達哲の『さくらの唄』を思わせるような甘酸っぱくも精液臭い青春暗黒すごろく劇が浮上してくるよう。菊池桃子が最近出演している家電のCFを井口昇監督に演出させてあげたいと私は願った。そうした精神衛生上のファーストファックがこの男には今一度必要なのではとふと。