近くて遠くに連夜行きたいんである

今年の秋だったか池袋サンシャインの古本市で『バァフアウト』と読むらしい音楽誌『Barfout!』の00年9月号をふと入手す。『LOVE ALBUM』発表時のサニーデイ・サービスの特集が読みたくなって。改めて読み返して当時も立ち読みですませてた理由がわかったような。つまりは若者向けの音楽誌のアプローチにそろそろ中年の仲間入りをしていた私がついていけなくなり始めていたのだ。
今現在この類の雑誌を私は立ち読みすらしない。『月刊カラオケファン』を立ち読みすることはある。『ユキがロックを捨てた夏』というタイトルの長崎俊一の映画のタイトルだけ大ウケしていた頃の私はまだ若者だった。確か売り出されかけてすぐにポシャッたバンドのマスコットガールが主人公だったような。いろいろ嫌な目にあってバンド活動から足を洗うメンバーの面倒をみる姉御役の台詞「あのコらにロック教えたのウチやもんな」にも当時ウケまくっていたような。クライマックス近くで長髪を切ったメンバーにユキが涙ぐむ場面なぞ当時としてもやり過ぎ感があったような。
いや、もしかしたら和泉聖二の『魔女の卵』と内容を取り違えているかも。ひと頃は多分、東京キッドブラザースやMrスリムカンパニーの影響だと思うが革ジャンにリーゼントのロッカーズらが暴風雨の中で無闇に殴り合い抱き合い涙し合うような内容の和製ロックミュージカル映画が量産された。その数年ほど後の一世風靡セピアくらいまでは同じ流れを組むのかも。それらが今何処に流れ着いているのか無理矢理つきとめるならば騒音おばさんとか池袋周辺の呼び込みかと。街頭劇のようなものに面白がって歩み寄ることはまったくなくなってしまった。
パフォーマンスでなく本当の大量無差別殺人によって脚光を浴びようとする者がいないとは言いきれない今現在の「路上」ではそれも仕方ないか。上野の森では定期的に大道芸人を解放したイベントを開催しているが。あぁいうものにもまだ触れにくいし若者向けのフェスにもノリきれない年頃の私なぞはどうすれば。
先だって荒川土手の工業地帯を散歩していたところハーフサイズの体育館のような建物を見つけた。カマボコ型の屋根の上に「歌って踊れるダンスホール」とある。本当にこんな所に連夜集って歌って踊る人々がいるのかとも思ったが。土地柄外国人労働者も大勢生活している事情を思えばそれもありえるような。ひょっとしたら昭和40年代初頭の横浜の歓楽街のごとき魔境が東十条の片隅で展開中なのかも知れないような。来年の私のロールモデルなぎら健壱