僕がんばってますでは入場不可である

10月半ばであったか夕暮れ時に山手線に乗っていた時のこと。高田馬場のホームに電車は止まった。私は反対側のホームに異様なパンク集団を見つけた。4人組の男女のうち3人は今風のヴィジュアル系をベースにしたパンクなのだが真ん中にいるリーダー格の男は70年代ノヘルスエンジェルス風のレザージャケットに身を包んでいる。
若い3人は20代前半くらいに見えたがリーダー格の男は50代にも届きそうな中年である。バイトの先輩後輩かなにかの関係かと思ったが。よく見ると若い3人はギターケースを抱えている。音楽学校の講師と生徒かとも思った。じゃ有名ミュージシャンかな少しシオンに似てるなとも。シオンだなシオンと納得することにしたところで電車は動き始めた。
リーダー格の男の子供っぽい笑い顔を見送ったところで私はハタとなった。シオンではなく元アナーキーのマリかも知れないと。
85年にアナーキーが活動停止した後のマリの様子などほとんど知らない。が、例えるなら雑踏の中で中学時代の親友とすれ違ったが20年以上も付き合いがないのでお互いエヘラ顔で目をそらし合う時のあの苦味に近い感覚がその時あった。アナーキーの全盛時のドキュメンタリー映画に再び手を加えた『アナーキー』なる新作映画が公開されている。元ネタである8ミリ作品『ノット・サティスファイド』を80年代に文芸座ル・ピリエで私は観ている。親衛隊の女のコ達がマリの独白シーンでメソメソ泣いていた記憶があるから85年を過ぎた頃か。
映画そのものはあまり出来の良いものではなかったような。しかし監督太田達也が当時高校生だったことを考えると凄いことである。デビューアルバムを13万枚売り当時の日本のロックバンドの中では売れっ子だったはずのバンドの楽屋にただの高校生がフラリと闖入してまがいなりにも記録映画を一本撮ってしまったことは凄い。今同じことはできないだろう。まだ権利問題というものが若年層の聴く音楽にまでは深く交わっていなかったのか。バンドの性格もその方面にはユルくて海賊グッズを身につけてる姿なぞよく雑誌で見つけ微笑ましかったが。
映画『アナーキー』観ようか観まいか。あまりいい噂は聞いてない中学時代のワル仲間の同窓会に誘われてしまったような感がある。会場に集まる本パンク、本暴走族の年のとり方にもきっと考えさせられるだろう。まがいなりのパンクスピリッツでこの20余年に何を残したのかあるいは破戒したのか。何もできず何もこわせませんでしたと受付で告白した輩は千円で入場とか。