カルトとは興業不振という意味である

1月27日、フィルムセンターにて『宇宙大怪獣ギララ』(67年松竹)を観る。フィルムセンターで怪獣映画の特集をやっているとの情報を先だって新聞で得たのでフラリと出かけたのだ。怪獣ものなら何でもいいかと思ってはいたが。よりによって松竹怪獣ギララに当たってしまうとは。本作は怪獣映画ブームに悪戯半分に首を突っ込んですぐあきらめた松竹唯一の怪獣ものであり出来栄えも悪戯半分のヘナチョコ作品なのだ。
まず怪獣と戦闘メカの造形がヘナチョコ。ギララの鳴き声が酔っ払いが路上でうめいているようでヘナチョコ。美少年路線で売り出されていることに全然ノリ気でない藤岡弘がヘナチョコ。作品全体のコンセプトのようなものをスタッフもキャストも全く理解していないというか早く終わらねえかな的なダレ場が延々と続くというか。ギララが登場するまでに45分程かかるのだがそこまで引っぱる理由がわからない。他社の有名怪獣と比べてあまりにも不出来で迫力不足のギララをなるべく出したくなかったのか。
本作の脚本のクレジットには二本松嘉瑞、元持栄美、石田守良と三人もの名前が連なっているが。分業しなければならなかっただろう科学ネタや天文学ネタなど出てこない。全く初めてのジャンルである怪獣ものに着手し多分失敗しそうな準備段階で早くも責任のなすり合いがあったような。製作サイドの心配以上のダメ怪獣として邦画史に残ることになったギララだが。つい最近まるで嫌がらせのように復活したのは何故か。他社の有名怪獣と比べればタダみたいな金額でリメイクできるのかもしれない。
ギララそのものに強いこだわりがあったとは思えない。思いたくない。しかし怪獣ものやヒーローものには必ずギララのような悪戯半分のやっつけ仕事のキャラクターが生まれてくる。その不出来ぶりを偏愛するマニアも生まれてくる。外国人俳優が吹き替えでペラペラと出演する不自然さなどもそうした好き者たちには歓迎されてしまうのだが。中年期に入るとそうした怪獣ものの暗黙のルールがちっとも楽しめなくなってきたような。
本作の中でヒロインの原田糸子が防衛軍の陸上基地から脱出するシーンで大丈夫ですかと手を貸す隊員の手付きがイヤラシイ。原田糸子はどさくさまぎれにベタベタさわろうとする大部屋俳優をキッとにらみ去るが。馬鹿馬鹿しいと思うなよという気概は感じなくもない。が、やってる本人大マジメという気概は感じない。私の好きな原田糸子がさほど傷付けられなくてよかったと思う。復活ギララの現場では何があったかは知らない。知りたくもない。