僕らはみんな水際じゃないんである

6月18日、神保町シアターにて『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』(55年新東宝)を観る。監督、中川信夫。都心から人口約400人の離島の分校に赴任してきた女先生が左幸子青ヶ島と呼ばれるその島は女先生の故郷でもあるが。
昭和30年代の離島の生活のインパクトにまずおののく。いきなり港がない。「先生の子供の頃には鬼ヶ島なんて呼ばれていたのよ」などと教え子たちに冗談めかす女先生だが本当におとぎ話の絵本のままの島の生活がこの時代には残っている。しけが続くと生活物資が届かなくなり島民は自給自足の毎日となり子供たちも学校どころではなくなる。学芸会の準備で桃太郎の英語劇を稽古していたところへ今はそんな場合じゃないだろうと父兄に抗議されて皆シュンとなるシーンもあるが。
本作の公開は昭和30年である。前の年には木下恵介作品の『二十四の瞳』が公開されている。本作が『二十四の瞳』の追っつけ企画であることは間違いないと思う。しかしこの時代の新東宝中川信夫はまだヒット作の追っつけ企画を随分と真面目に撮っている。真面目というのか下には下があるとでもいったひたむきさというのか。私の小学生の頃、国際プロレス中継でオープニングからガラ空きの体育館に金網デスマッチのリングが登場し酔客が靴を投げていてもそこには何か神聖なものを感じずにはいられなかったような。
本作で貧困にあえぎ続ける島の分校に手を差しのべるのは女先生が以前に勤めていた都心の坊ちゃま校。父兄の中に航空自衛隊とつながりのある人物がいて生活物資を空輸できそうになる。当日、女先生と島の子供らは日の丸をかかげて輸送機を歓迎する。港の無い鬼ヶ島にエアポートがあるわけないので輸送機は生活物資を投下する。パラシュート付きの木箱がゆらゆらと落ちてくるのを万歳、万歳と追いかけるくだりが本作の感動のクライマックスである。『二十四の瞳』の追っつけ企画を真面目に撮ったらこうなったのですが何かといった感の。
いや、『二十四の瞳』を観た後で本作に触れた者は中川信夫の下には下があるとでもいったひたむきな批評性にひくとなるだろう。「言うべきことは言ってきた」木下作品の中で『二十四の瞳』はメッセージ性の高い代表作であるが。会社の方針で他社のヒットの尻馬に乗る形ながらも『女教師の記録』は言うべきことは言っている。いや、身もふたもないことを言っている。以前ラピュタ中川信夫特集で見逃した『ウルトラマンレオ』にすらもひょっとして何か身もふたもないひたむきなメッセージがあるのかとも。