リハビリ中でも世直しは休まずである

先だって近所の図書館で毎日新聞をめくっているとニンニク粒をどうかした健康食品の広告に名高達郎が出ていた。体が資本ですから毎日走ってますわといったコメントに何かヒクとなるものを感じたが。毎日走ってるということはそれだけヒマになってしまったということか。名高達郎って最近あまり見ないような気もするが。
役者が年をとってヒマになると決まってうつ病になるという。うつが始まると余計に人好きのしない印象が出来上がって益々仕事が減ってしまうので毎日走っているのかとも。80年代に二枚目スターとしてピークであった名高達郎はそろそろ老優になりつつあるのは当たり前かとも思うが何かシックリこない。現にその頃高校生でドラマ『ハングマン』を観ていた自分も後厄のおっさんではないかと思い直すがどうも。
岩波書店、同時代ライブラリー『正伝 殿山泰司 三文役者の死』新藤兼人 著を読む。殿山泰司の残したいくつかの名エッセイを私が読み始めたのはちくま文庫が南神坊のカバーで出した01年頃のシリーズから。それらのエッセイが最初に活字になったのは私が生まれた頃である。街を歩けば助平な役者とからかわれてヘキエキするタイちゃんというのもリアルタイムでは通過していない。
リアルタイムのタイちゃんといえば『写真時代Jr』にカッコイイ兄貴を偲ぶような追悼文が小さくのっていたのを見つけたあの時か。それが89年、平成元年であったことを本書で初めて知った。アル中時代の壮絶なエピソードも興味深いがそれがそれが俳優としては一番引く手あまたの時期というのもそういうものかと。そしてアル中時代で売れっ子時代の60年代のタイちゃんはハッキリと顔つきも体型もその後とは違う。戦後のどさくさをくぐり抜けてきたアナーキーな体臭が伝わってくるような凄味がある。私がリアルタイムで知ったロマンポルノでヒロインにクンクンむさぼりつくエロジジイ役のタイちゃんは言ってみりゃ再就職後のタイちゃんだったのだ。
1人の人物の精力的な青春期と晩年のいずれか片方にだけ思い入れてしまうことは私にはよくある。内田百輭阿房列車の頃だけが好きだ。精力あり気な壮年期の写真は好きじゃないしすっかり老成してからも興味が持てない。名高達郎がこの先老け役でまた人気を取り戻すようなこともないとは言えないが。そうなるとやっぱり名高はハングマンに限るといったようなしたり顔を私はするだろう。が、名高もそうした追い風に簡単に乗ってしまいそうな気も。自分のファンクラブの会長になるアメリカB級俳優と同質の匂いが。