伝説の予想屋は今や巨匠なんである

7月20日、新文芸座にて『の、ようなもの』(81年ニューズ・コーポレーション)を観る。ニューズ・コーポレーションなる制作会社が当時31歳の森田芳光監督が学生映画ではなく芸能界に踏み込んだ商業映画を撮るために「4ケタの借金をして」ブチ上げた即席オフィスだったことをつい最近知った。
高校生の頃テレビで初めて観たときもその後名画座でビデオで観たときもあの頃たくさんあったそうした即席メジャー映画とは強度が違ったというか。「爪に火をともすようにして」制作された本作は不思議とセコくないのだ。どこでどうつかまえたのか各界著名人がほんのチョイ役で続々と出演しているからか。少し長いスパンで見ると登って行く者と下って行く者との駆け出し時代のワル仲間っぷりが楽しかったりせつなかったりする芸能相関図の方がドラマなところか。
伊藤克信、か。新文芸座のロビーに飾ってあった本作のポスターには前から気になっていたエンドテーマのタイトルが。『シーユーアゲイン雰囲気』とあるが。雰囲気と書いてインザムードと読ませるらしいことは歌詞の内容から見当がついた。何かこういうのあったなと。『不安タジーナイト』とか。今でも田舎のスナックの看板には見られるセンスだが。大人の歌手時代の尾藤イサオが歌う「シーユーアゲイン雰囲気」も今度セコハンショップに発掘に行こうか。
ヒロインの秋吉久美子が本作に登場していなかったらどうなっていただろうかと思うことがよくある。都心に小洒落たマンションを借りてペーパーバックスと高級グルメのある暮らしを楽しむ風俗嬢、エリザベス役をもしも高瀬春奈が演じていたら本作は成功していただろうか。秋吉久美子は先週の週刊現代のグラビアに登場していただろうか。当時中学生で本作にショックを受けた我々世代は70年代の秋吉久美子ブームを後追いしたが。いずれの作品でもその魅力は平熱のまま。『旅の重さ』ではあと少しで出世作をモノにできたかもしれなかった秋吉久美子は本作でほんの少し熱を持ち挑んでいるよう。
エリザベスの同僚として室井滋が登場するワンシーンはどうか。このワンシーンなどは『旅の重さ』の高橋洋子秋吉久美子のワンシーンに重なるような。そうしたウケを当時監督がねらったのだとしたら本作はまだまだ奥が深いのでは。長いスパンで見る大化け、没落の予言書的な視点が人、街、風俗などに向けて本作の中に今も息を殺しているかのよう。でんでんのライブビデオって残ってないのかとも。80年代再考のテープカットは森田芳光が何らかの形で切るのではないか。