雨がやんだら三度お別れなんである

10月20日、船橋若松劇場にフラリと。8月31日にいつものように新宿ニューアートに向かうと改装休業中であった。小雨そぼつく区役所通りをウロチョロするうちに新宿TSミュージックの前に来てしまい何となく入ってしまった。
ニューアートと比べればワンランク下がるダンスと仕切りだった。が、一人ゴツイのが。雛形ひろ子なる三十がらみの肉感的なタレントさんに反応した私はとうとう無い袖を振って記念ポラを。「ポーズは?下のおくち撮る?」と開脚するひろ子女史の下品なアプローチにとまどう私は会場の酔客のおつまみに。
プリンスメロン大の爆乳を触っていけばと言われ余計おたおたする私にオプションだから、ガバっとほらなどと声援までが。ほとんど森田芳光の『(本)噂のストリッパー』の世界。宮脇康之ばりに切なく燃えることが四十面下げて可能か。いや可能なかぎり踏み込んでみたい。ヌードシールをペタペタと腕に貼られている私はまるで坊やあつかいだ。まだ宮脇康之でいけるかも。
そして先だってたまたま開いた夕刊フジの劇場室内に偶然雛形ひろ子の名前を見つけた。千葉なぎさとのチームショーで20日まで若松劇場に出演しているらしい。その日は19日の深夜で翌日は休日だった。これは可能なかぎり踏み込んだ方が。で、船橋くんだりまでやって来たが。
元来船橋はストリップのメッカらしい。昭和四十年代初め現在と同じオープンショーは都内では警察がうるさかったが郊外では興業できたので船橋も続々オープンしていった。若松劇場はそうした劇場の中で現在も生き残っている老舗中の老舗というようなことをロビーに貼り出してある『散歩の達人』の紹介記事で知る。
小屋に着いたのは午後6時。ちょうどひろこ&なぎさの出番前であった。オペラ座の怪人と晩年のマイケル・ジャクソンの芸風をミックスしたような舞台。途中で観客を一人舞台に上げて谷間に顔をはさんだりくすぐったりして軽くいじる。昔のタレントも観客も今にして思えば石器人のようにゴツイと思う。どうぞと言われて本気で挑みかかれるものか。昭和は遠くなりけりか。
ところでひろ子女史の記憶の中に私は少しでも残っているのか気になりつつも再びポラ行列に並ぶが。どうやら少しも覚えてはいない様子。何人かの常連らしき客とは久しぶりィなどと肩を叩き合っているのに。やはりこの世界では私なぞまだまだベイビーだと。永井荷風のように先生、先生とストリッパー達に楽屋に引きずり込まれる晩年が私に訪れるとは思いにくいが。えぇ、それが私とあの女との二度目の出逢いでございます。