十日に一割ならモアベターである

10月21日、銀座シネパトスにて若松孝二監督作品『性輪廻 死にたい女』(70年 若松プロダクション)を観る。三島由紀夫の割腹事件のあった70年11月25日にたまたま次回作の脚本を練っていた若松孝二足立正生のコンピはホテルのテレビで事件を知り本作のたたき台にする。
4日後にクランクインして12月には公開しているのだからほとんど現在のお笑いライブのようなフットワークで劇場映画を一本でっち上げてしまう若松・足立コンビの起動力にまずおののく。ピンク映画というジャンルが一般にまだ認知されていなかった時代だったからどんな素材にもデリケートになる必要がなかったと語られてもいるが。
今同じやり方でどさくさまぎれにとんでもない表現を乱射することはできるのかとも。ケータイ小説のようなものが60年代のピンク映画に代わる気は私にはあまりしない。河内音頭日本語ラップがそうしたメッセージ性を引き継ぐような気も少ししかしない。60年代の若松・足立コンピのように今日もまた世界を変えたかといった面持ちで赤ちょうちんで飲んでいるピンク映画の監督と助監はもういない。いたらどうかしてる。
ならばあの時代の若松・足立コンピはといえば充分クレージーである。クレージーな独立プロのクレージーな社会派エロ映画に一部の若者が熱狂していた時代の空気を私はかすかに吸って育った世代ではあるが。本作に登場するのは70年8月25日に楯の会のメンバーとして自決しそこなった青年とその原因になった恋人、その婚約者の中年男とその元恋人による泥沼メロドラマである。
70年代初頭のこうした恋愛物の登場人物らは死ぬか、死にたい、殺すか、殺してなどと観客置き去りの人情沙汰を繰り返すパターンが多かった。本作はその走りであり当時の最先端と言えるかもしれない。最先端ゆえのいびつさとお笑い感もまたある。クライマックスで中年カップルの心中を後押しして再縁することにした若い二人がドライブに出かけるシーン。踏み切りでもたつくクルマに列車が近づいてくる。どうしたのかとアクセルを踏むが動かないクルマに列車は追突寸前になる。が、次のカットで思い直したようにクルマはドライブコースを快走してエンドマークに。
明らかに追突場面を実写でもミニチュアでも撮るリスクを若松・足立コンピがはしょった感が。思い直したのは我々だがファンの皆々にもこの機会にぜひ思い直してもらいたいとでも言いたげなこのギャグゲリラぶり。もしかすると今現在の邦画界で若松・足立コンピに匹敵するのは山下敦弘向井康介ではと私は少し嬉しがってしまった。