君のためにも音声処理したいんである

角川文庫から出た『町田康全歌詞集1977〜』を読む。シンス1977、つまり作者がまだ大阪の高校生で友だちとキッズ・パンクバンドを結成した当初からの歌詞が残された一冊である。
以前に田島貴男が高校時代に友だちとバンドの練習をしている記録テープで勝手にクラブイベントのようなことをしてモメていた人物がいたと思うが。町田康にもそうしたネタはいくらでも残ってるはずだがあまりそうしたトラブルは聞かない。角川文庫からリリースされているようなメジャ―作家にそんなことしたらどうなることかと思われているのか。が、町田康のライブ会場にはメジャー作品以外の身内だけの手作りグッズ、音源も販売されている。自分で作ったブートレッグのようなそれらの作品も入手したいのだが一度マニアックに重箱の隅の隅へと追及し始めるときりがないようで。気がついたら自宅の生ゴミをあさっていたり、気がついたら事務所に放火していたりするクレイジーなファンから逃れられますようにと今は祈る側の私。
しかし実際都心を逃れて田舎暮らしをし始めた町田康の周辺というのは。60年代の知識人のようにマスコミに露出し続けているか住所不定で通すかしていないと危険極まりない日常なのかとも。そんな人もういないものと今は感心してる側の私。
町田町蔵の詩と私が最初に向き合ったのは81年頃。『アラン』という今でいう腐女子カルチャー系のアングラ誌のグラビアだった。東南アジアの売り専ボーイのようなイメージのヘアメイクでポーズする町田町蔵の姿に自作の詩が飾りケイになっていた。それが本作収録の『レタスと仏像』のはずだが。どうも今読み返してそうだこれこれとも思えず。“もう一度だけ あなたと歩きたかった”のくだりの前に“あなたがもしも美しい女性ならば”といった一節がかかっていたような。それは今ではNGワードなのかと。どこがどこが何がと騒いだところでただの読者層にはわけわからんのだが。
岡林信康が同世代のファンなら皆知っている当時の恋人に贈った歌曲を封印してしまったことと同様の背景があるのかとも。これ言うと誰のことかわかっちゃうし今さら傷つけたくないしという心配りもわかる。が、広い俗世間には松山千春という歌手がいて俺のラブソングはすべてノンフィクション、すべて実在の女性との関係を題材にしていると豪語してもいる。どっちが男らしいか女々しいか私には難しいところだが。世間向きには格好いいことばかり言ってるが過去関係のあった女性からは悪魔呼ばわりの人気男性歌手なんて今では化石でも私好みなんだが。