昔の名前で黒ニッカまみれである

家主のエイチから届いたメッセージ書きの中に君がそれほどまでこだわる新宿ニューアートとやらに僕も一度観劇に行こうと思うといった内容があった。私はそれはどうかな今の時期と思った。劇場側が製作費を出し惜しみしないのは正月と大連休と夏休みと年末である。その前後に出演するのは中の下位のキャリアから動けないお局様か昔の名前で出ていますといったカムバック組である。で、家主のエイチがそろそろ僕もと思っている今時分は正にそのタイミングなのだ。私なぞはそうした舞台も悪くないと思えるようになったが初心者は恐らく引くかと。
先だって11月26日のニューアートがそうであった。出入口のポスターに『完全復活、矢沢ようこ』などと貼り出されていてギルガメ出演時の矢沢ようこのポートレイトが。しかしあれから十余年、どの位くたびれてるか知れたものではない。知りたければまぁどうぞということか。以前にも憂木瞳の舞台をここで観たがふた回り半ほどもふっくらしていて時の流れを感じた。そして今現在の矢沢ようこはといえば。シュガー、あのシュガーとロッド・スチュワートの『アイム・セクシー』にのせてお立ち台ギャルのようなコスチュームの三十路女が向き直るとそれが矢沢ようこである。
くたびれ果てたといえばくたびれ果てたが面影はある。高校の同級生といかがわしい場所で再会してしまったような感覚。ここは客のフリが人情だなと身固めを。客は客なんだが。会場の空気も全体そんなふうだった。完全復活とはいえ心身ともに相当不健康な状態が続いてそうなのは一目で分かる。分かっておいて昔話を持ち出せる冷血はそもそもこんな所で遊ばないだろう。ステージは『ホット・レッグス』『セイリング』となぜかロッド・スチュワートのメドレーでオープンまで続いた。もう一度生きてみたい、願わくばロッドのように高め安定でということかしら。
矢沢ようこのお色気タレント時代はもうバブルではなかったが本格的な不況にはまだ遠かった。実際可愛がられてたか目の上のたんこぶだったかわからないが飯島愛という先頭走者がいた。そんな諸々の過去への想いを背負っているのか投げ捨てたのか調子悪くて当たり前な現状だけは伝わってくる舞台を演じた矢沢ようこ。
このクラスのタレントと向き合うたびに私は音信不通の古女房との最終交渉の席に着いたような緊張につつまれる。そんなに放出しなかったから許しておくれよと。阿呆、量じゃねんだよ量じゃと言われればそんな気もする。熟女AV界で再び高め安定のシュガーな日々を僕の大好きなようこに。