家長は小林亜星、妻は加藤治子

7月3日、図書館にて向田邦子ドラマシリーズ『眠る盃』(昭和60年TBS)を観る。このシリーズを今ではなかなか再観できない向田ドラマが観れるとありがたがっていた私だったが。本シリーズは向田邦子の死後に企画の持ち上がった追悼番組なのだった。向田邦子のエッセイを原作に柴英三郎が脚本化した半自伝的ホームドラマで演出は久世光彦
舞台は昭和15年の東京。家長は小林亜星、妻は加藤治子、少女邦子とおぼしき娘の役に工藤夕貴、お女中じゃなくてお手伝いの役に渡辺えり子。当時私は同世代のロリ系アイドルである工藤夕貴伊藤つかさが苦手だった。大学生くらいの男たちが本気で入れあげている姿がその後の幼女誘拐事件より表面上は健康的なところが不気味で。当時もっと大人だったら向田邦子を守る会も同様に不気味だったか。今の工藤夕貴伊藤つかさの周囲に守る会が残っていないのはどこかで決別があったのかと。
工藤夕貴の祖父役である森繁は鳶職の組頭だがもうあまり仕事はない。一人だけ残った職人のイッセー尾形と火鉢を囲んでだべる日々。ねぇ頭ァ、頭ってばとイッセーの方はしきりとからみたがっているが森繁は適当に受け流している。映画出身の大物俳優に小劇場出身の新人俳優が果敢にからむ姿を当時のテレビドラマで何度か見守っていたような。気持ちはやはり小劇場寄りで本作のイッセー尾形を当時観ていたら胸が痛んだかもしれない。今はまったく痛まない。痛まないどころか森繁が気の毒というか。イッセー少し図々しいなとも。相手が社長シリーズの森繁だからっていきなり三木のり平小林桂樹のようにウヒョウヒョとからんでくる見たこともないアングラ役者なんてものは。
本作の森繁は若い頃から面倒をみてきたごひいき先のお嬢様、八千草薫のために一肌脱ぐ。職業軍人の夫の不実ぶりに逃げ出した八千草薫を一晩自宅にかくまうのだが。姦通罪のある時代にそんなことをすれば一族皆終りだと義理の息子の小林亜星は泡を食うが。小林亜星を観るとあの人最近包茎手術したんだってよとバラエティで暴露していた飯島愛を思い出してしまう。飯島愛なら大丈夫かとそのくだりを生かしたスタッフの計算もあったのだろう。が、飯島サイドにも大丈夫、却ってこれがきっかけで可愛がられるかもという計算があったような。飯島愛少し図々しいなとは思わないが。AV好きからは敬遠され始めたブレイク時のしれっとした態度は少しアングラっぽかったかもしれない。自伝を出版した頃の飯島愛をフォローしていた女子校生たちはきっと同様のおミソ体験があったのだ。