ミラーボールの下で巨尻を眺めつつ

1月14日、最寄りの図書館で借りた桑名正博のRCA時代、つまりベストテン歌手時代のベスト盤を聴く。松本隆筒美京平のヒットメーカーコンビの協力を得てソロ歌手として大輪の花を咲かせていた頃の桑名正博のイメージは正しくわれらあ兄貴。当時中学生だった私がこの兄貴についていこうと思ったのはやはりこの時代。つまりヒットメーカーコンビと共にわが世の春にあった時代にだけどこからともなく群がってきた砂利子の一粒が私だったわけだが。
本作のタイトルにもなっている『セクシャルバイオレット№1』など今どきの中学生に聴かせたらどんな反応をみせるだろうか。何となくエロいねぐらいは応えるか。ジャケ写を見せればえっ、この人はこの人なんだよと勝新のような今の桑名将大の写真を見せればもっとおののくだろうか。『セクシャルバイオレット№1』といえば昨年引退した踊り子のTAKAKOを思い出す。
4年ほど前に新宿ニューアートで何度目かに彼女の舞台を観たとき使われていたのが『セクシャルバイオレット№』だったのだ。当時の日記にも“TAKAKO嬢の巨尻と『セクシャルバイオレット№』!ノッてしまったつい”などと記されている。そうだ劇場でノッたのはあの時が初めてだ。ミラーボールの下で巨尻を眺めつつ『セクシャルバイオレット№』に目を細め首をブンブン振り回す四十男。アポロキャップでもかぶっていればまんま70年代末のロマンポルノの背景にすっぽりおさまりそうな。
文字通りただの助平親父、ただのオッサン。TAKAKOは私を一人前のただのオッサンに導いてくれたみちびきエンゼルだ。そんな恩人の最後の舞台に駆けつけられなかったのは無念であるが。TAKAKOの舞台はいくつかDVD化されているのでそれらの発掘に今後は力を入れていこうかと。いやTAKAKOの映像作品ならもっと粋な品々がすでに出回っているのかもしれない。ちょっと調べればすぐ見つかるのかもしれないが調べない。

一月半ばになっても去年のカレンダーがぶら下がっている私の部屋に足りないのは2010年の新宿TSのカレンダー。赤版と青版があって一部千円だったか。TAKAKOも大崎悠里もそこでは現役カレンダーガールだ。欲しい。引退後も追いまわされるほどスターじゃないから心痛な後日談も届かないし。それは軟弱か。TAKAKOは私をそんなオッサンに育てたおぼえはないと叱咤するだろうか。さほど目立たないもののここにも姐さんといったタイプに私はどうも弱いような。