27年たってもそんなに変ってない


4月22日、『それから』(85年東映)をDVDで観る。監督、森田芳光。冒頭、この作品は本編が古いため画像に乱れがと断りが。27年たってもそんなに変ってないように思えたのは主人公の親友役の小林薫か。いや小林薫も今とくらべれば充分若い。では主人公の親族役の中村嘉葎雄はといえばそんなに変っていない。割と最近にも金子みすずの伝記映画に出演したしもうかれこれ30年近くも明治の豪傑親父を演じ続けている。中村嘉葎雄は明治顔か。林家らぶ平に似てんだよなとも思った。「何だ金か、お前金ができるのかい」などと豪傑な台詞が案外らぶ平にも似合いそうだなとも。いや、もうらぶ平じゃないのか。らぶ平なんて呼んだら怒られるか。誰に怒られるんだ。80年代半ばにはひとまず顔を売るためサブカル系の舞台や自主映画やアニメの吹替えにも精力的に出演していた林家こぶ平が当時私はあまり好きじゃなかった。精力だけという感じがして。今のこぶ平にはいや失礼三平師匠とつい謝ってしまいそうな貫禄がちゃんとある。精力だ。人間は精力だ。明治の豪傑並の精力があの頃の私にも少しはあったか。時はバブル。本作はバブル映画なのでは。高等遊民などといにしえの呼称を掲げるメンズ誌もあった気がするし何故一般の大学生がクリスマスには赤坂プリンスに殺到するのか不思議とは思わなかった。じゃお前も殺到したのかと問われると私は殺到できなかった。だがコンパの帰りに予約とれたよ、これから赤プリと自分たちからいうカップルをすげえな、おめでとうと見送る拍手に成り行き上参加したような。いずれもバカバカしいのだがならば赤プリに殺到する方がよかった。精力なかった。精力といえば本作に登場するアイドル時代の森尾由美はどうか。なかなか下品でいいと今頃思った。新井薫子とか芳本美代子とか80年代顔のアイドルに当時の私もそれなりに反応してたはずだが。そんな彼女らにエド山口のようなおじさんタレントがからむと下品だ止めろと舌打ちしていたような。今にしてみれば当時のアイドルも充分下品である。しかしそうは言っても。今の私のまわりにも時代遅れの80年代顔の女子たちはいる。そんな彼女らにだけは大甘に甘い私と同世代の四十男もいる。下品だ止めろとは言えない。気持ちはわかるというか。愛の残り火ですか、と。自分の娘ほども年若の80年代顔のOLと不倫に踏み込む四十男の苦悩というのは。『それから』か。いよいよ本編か。いわゆる天才女優にはどうもアレルギーな私。だが本作の藤谷美和子だけは今も好きだ。今もファンです。