打ち上げの方が私は気に入った

8月3日、浅川マキ『Long Good‐bye』(EMIミュージックジャパン2010年)を聴く。二枚組ベストの一枚目は歌謡歌手時代からの代表曲を、二枚目はどっぷりジャズ歌手時代のライブを飾った佳曲を中心に。冒頭の『夜が明けたら』は『浅川マキの世界』からのスタジオ録音盤をそのままに。二曲目の『ちっちゃな時から』は72年のライブから。この『ちっちゃな時から』にはシングル盤もある。が、そちらは青山ミチの『男ブルース』のような怒涛のやさぐれ歌謡調。これは構成、演出とクレジットされた寺山修司の志向によるものだろう。本作に収録されているのはシンプルな生楽器編成の酔いどれフォーク集会というか。寺山版が舞台本番ならこちらはその打ち上げのような。打ち上げの方が私は気に入った。浅川マキは天井桟敷に出入りしてたとはいえ長襦袢姿や褌一枚で舞台でとぐろを巻いていたわけではないのだ。そんなことまではやってない。寺山版はひと頃よく言われた「やっちゃった感」の強いアレンジなのだ。私もかっては『あしたのジョー』のテーマ曲同様に寺山版の『ちっちゃな時から』に心揺すぶられていたような。寄る年波にやさぐれ演出に乗りきれなくなったのか。もうやさぐれでも不良少年でもないでしょ、浮浪者でしょ不審者でしょと鏡をのぞけば納得してしまうが。それでも今は打ち上げ版の『ちっちゃな時から』の方がいい。72年録音であるから寺山版を録音してから二年で軌道修正を試みている。アレは少しやっちゃったねと。私はそう気づくのに半世紀もかかった。手遅れだ。こうなると浅川マキが封印したがっていた歌謡歌手時代にもっと触れたいような。伝説の、孤高のシンガーの冷飯時代の労苦がのぞきたいのか。いや90年代半ばの文芸坐ル・ピリエで観た浅川マキは鼻水が止まらず床にへたり込んで飲み物をこぼしネェちょっとと声をかけたマネージャーが袖から差し出したのはロールペーパーだった。そんなコントだって充分観てしまったのでは。などとつらつら回想しつつブックレットを読んでいると『こころ隠して』は作曲、近藤等則なのかと気づく。ちょうどその頃のライブのオープニングの定番だ。イントロを聴くだけでスモークマシンのサラサラ鳴る音も同時に届くようで震えと鼻息が。それはお前の言う「やっちゃった」音楽なんじゃないかと問われればそうなのだが。忘れた頃にやっちゃってもいいのではと。このCDを地元のショップの演歌コーナーで見つけた時はつい吹いてしまった。最後のギャグかと。コメディエンヌかと。