そして12年7月に本書は発行された

8月27日、町田康 著『この世のメドレー』(毎日新聞社)を読む。この作品は『熱海超然』のタイトルで『本の時間』10年4月号〜12年6月号に掲載されたもの。その連載を私は11年1月号まで追いかけていた。2月に転居してみると都心ではフリーだった『本の雑誌』のような小冊子は地元の貧相な書店では¥50前後の適当な値札を貼られて平積みされていた。悲しくなって『熱海超然』の続きは単行本を待つことにした。そして12年7月に本書は発行された。小説家である主人公の余と編集者である袂君が連日のように昼食をとるための飯処を開拓していく物語。店内のムードや店員のサービスや客層客質を漫才調であれやこれ論じ合う余と袂君。相変わらずビシビシと絶好調だな町田節と胸躍らせつつ11年1月まで私は本書を読みふけっていた。その後の連載も読もうと思えば読めたのに手が出せなかった。言っても痛快娯楽小説のジャンルに属するだろう町田文学に手を伸ばす気になれなかったのは。11年3月以降の時節柄それらのものに手を伸ばしても痛快になれる気がしなかったから。そのような理由で私は『この世のメドレー』が自分の知らぬ間に化粧直しも終えてリリースされるのをただ待っていたのだ。その間何か面白いことはないのかよとぼやきはしなかったが言われなくとも面白がらせようとする痛快娯楽業者の中で私は町田康が唯一気になった。本書の余と袂君があれ以来どこをどう彷徨っていたのかが気になっていた。本書の後半では余と袂君は那覇空港からレンタカーに乗り沖縄の夜を彷徨っていた。その後は地元のバンドマンと知り合いバンドを結成。ライブハウスと呼ぶには格段ゴージャスないかにもナワオキな小屋でデビュー。行き場のない野郎どもが放浪の果てにこれこそが自分たちのやりたかったことではと思える何かに出会う。余と袂君にとってはブルース・ブラザース同様それはバンド。その即席バンドは大絶賛されかけて黙止され行き場のない野郎どもに再び行き場はなく。ふむ、相変わらずビシビシと絶好調だな町田節と胸躍らせつつ巻末まで一気読みしてしまった。いつも通りだ。いつも通りの自分の相撲だ。誰の?だから町田康の。町田康の寅次郎紅の花といった読後感の。男が女を見送るってのはその女の家の前まで送るってことよというシリーズ最終作での寅次郎の名台詞を私は思い出す。どうやら家の前までは無事見送られたような感も。それは自分の家の前のはずでも何処か魔境。