石原真理子が特に嫌いだった訳でも

9月7日、山根貞男著『日本映画の現場へ』(筑摩書房)を読む。82年から88年までの邦画の撮影現場を映画評論家の著者が密着リポートしたもの。中島貞男から小沼勝田中登といったポルノ勢、工藤栄一、石井聡互、崔洋一などのバイオレンス、ハードボイルド勢の現場が中心だが。当時『縄と乳房』や『丑三つの村』を観ていた層がどこにでもいる映画好きであったかどうか。今にしてみれば偏愛気味なチョイスの並ぶ本書の中に澤井信一郎の『めぞん一刻』が取り上げられている。私は『めぞん一刻』をエンドロールだけ劇場で観ている。当時の併映作品だけが楽しみで原作コミックとはイメージ狂う石原真理子の管理人さんなぞ観たくないと思っていたのだ。原作コミックのキャラクターと全然似てないだけで評判を落とす俳優が当時は大勢いた。今は全然似てないことも似せ過ぎてそれこそ漫画であることも許容されているような。昔の映画ファンの方が幼稚でわがままだったのか。昔の映画ファンて誰のこと?私のことだ。『めぞん一刻』のキャストにしたって四谷サンは伊武雅刀、一の瀬サンは藤田弓子、朱美さんは宮崎美子だ。五代クン役の新人、石黒賢だってまだ充分カワイイ盛り。どこにも問題ないだろうと今にしてみれば思う。だが当時の私はけっこう本気でブーブー言っていた。映画『めぞん一刻』は脚本は田中陽造だし音楽は久石譲だし多分ちゃんと観てみれば面白かったはず。今の私が制作側の年代に近くなり当時のスタッフの何かご不満でもといったガックリ感がわかるような。石原真理子じゃなんでダメだったのか今説明してみろといわれてもできない。石原真理子が特に嫌いだった訳でもないよなと本書を読み進むと。澤井監督が石原真理子に台詞はキチッとしゃべること。ゆっくり気分を出そうとするな、あなたは初歩的なところができていないんだからと演出されるくだりにはたとなる。石原真理子のポワンとした台詞語りに当時の幼稚でわがままな映画ファンの私は何か高尚なものを感じて恐れ入っていたのでは。「歯切れよくセリフをしゃべると気分が抜けちゃう」という石原真理子に「気分は二の次」と一喝する澤井監督はまったく正しかったのでは。では石原真理子の気分とは。それは多分アンニュイなんかもう全然ダメだろうとなおさら怒りそうな澤井監督の知るアンニュイと石原真理子のアンニュイとは微妙に教科書が違っていたのでは。もしかしたら石原真理子のアンニュイ万歳といった快作かもしれない映画『めぞん一刻』が今頃観たくなって。