肝心なところで東映ヒーロー劇化して


9月14日、『風の又三郎―ガラスのマント―』(朝日新聞社)を読む。89年に公開された同名映画のダイジェストと撮影日誌がミックスされた原田大二郎のスチールによる絵本のような。本屋の店先にある円谷プロ系の絵本のような。本屋の店先にある円谷プロ系の絵本のような。こういうものまで売ろうとしたのだから本作は社会現象に近い大反響を呼ぶ構えを当時持ったのかもしれない。私は伊藤俊也監督の前作『花園の迷宮』が面白かったので本作も劇場で観たのだった。かりん役の早勢美里が可愛かった。が、私は当時23歳。そんなことあまり大きな声では言えなかった。だが『花園の迷宮』で島田陽子が急に好きになったこともあまり大きな声では言えなかった。伊藤俊也監督にしごき抜かれたヒロインは皆えもいわれぬ魅力があるがそんなことあまり大きな声では言えない。本作も鳴物入りでメジャー公開されるより教育映画枠の方が後々まで語り草になったような。国民的アイドルになる準備完了の早勢美里に本作はジョーカーであった。又三郎がガラスのマントを広げて宙を飛ぶシーンはクレーン車で今のワイヤーアクションのような撮り方をしている。が、飛んでいる又三郎は両手両足をモモンガのように開いて中途半端な表情。肝心なところで東映特撮ヒーロー劇化してしまった。あともう少しのところで脛毛がはみだしてしまった。『さそり』シリーズのお洒落でクールな面と土臭くやり過ぎな面の混成こそが伊藤俊也の持ち味とするなら本作にもやはりブレはなかったのかもしれない。早勢美里は国民的アイドルにはなれない。なれそうでなれないからこそ伊藤組に招かれたのだ。何にも知らずに乗せられたのだ。村の子供たちの遊ぶ小川にお前たち川を汚すなと現れる専売局の男役のすまけいのことも思い出した。すまけいといえば権力者だが。例えばたけし映画の配役のように裏社会の権力者役にくるまやのおいちゃんを置いて観客に何かを気づかせるような試みが主流になっても伊藤ワールドはブレないだろうか。やはり土地の有力者はすまけいでいつも通りに。甲子園の名監督のようにうちはいつも通りやらせてますから、と。本作で意外な好演と賞賛されていたのは又三郎の父親役の草刈正雄。台詞は無くただ黙々と科学実験を始めたりチェロを弾いたり。モリブデンの鉱脈を狙う何か特別な技術者でありモリブデンとは弾薬の原料。それが愛息の女友達の前でさてとなどとフラスコを振る。マッドサイエンティストというより間抜けな捕虜だ。本作の草刈正雄は捕虜である。まずは捕虜にエールを?それも案外マッチョかと。