私は以前靖国神社のみたままつりで


1月10日、新宿K's cinema(ケイズシネマ)にて『ニッポンの、みせものやさん』を観る。監督、奥谷洋一郎。本作は奥谷監督が大学時代にアルバイトを始めた見世物小屋一座、大寅興行社を10年に渡って追い続けた長編ドキュメンタリー映画。大寅興行社は戦前から活動している老舗の見世物小屋で現在では最後の一軒と言われている。私は以前靖国神社のみたままつりで劇団ゴキブリコンビナートとのコラボによる蛇姫様の実演ショーを観ている。日頃から生きた蛇を食べているだけあってこの色艶と紹介されていた蛇姫様は確かに常人離れした色気というより妖光を放っていた。そうした貴重な人材を一座はどうやって獲得しているのか。元興行主のインタビューの中で語られるところによれば公演先で土地の人々から育てきれなくなった子供を口減らしに押しつけられる例がほとんどだという。その際には金品も動く。押しつけられる子供というのはその家にとっては世間体の悪い事情を背負っている場合が多い。などと茶飲み話に語る元興行主の老人の現役時代が私には想像しにくい。一座を仕切る女将さんと奥谷監督とは三世代は離れている。戦中戦後の苦労を孫に語り聞かせる好々爺のように女将さんも関係者たちも皆明るく朗らかである。もし二世代、一世代半くらいの距離を持つドキュメンタリー監督が撮ろうとすれば撮られる側はもっと警戒しただろう。言ってしまえば口減らしだわなと語る老人にはそれを聞いている若者の世代には口減らしの意味がわからないだろうと思っているよう。意味はわかりますけどねと奥谷監督は内心思っているよう。そこに口減らしという言葉にもっと敏感な世代がそれでも意味しかわからないだろうと割り込んでくれば老人はそれ以上のことを話さないだろう。情け無用の世界に潜り込めるのは孫世代の無邪気な共犯者だけと気づくと駄菓子屋感覚でほっこり楽しむ映画ではないような。見世物小屋に集まる観客の心理は怖いもの見たさのはず。蛇姫様は生きた蛇を食いちぎる前に着物の袖口からおっとここにもとゴム蛇を観客に投げつけるギャグを半笑いで演じる。そのあとではいよいよと生きた蛇を食いちぎるが。その蛇がよく見るとゴム蛇だったら現在の客は笑うかもしれないが50年前の客は怒り狂っただろう。ゴム蛇ギャグもその頃の客には通用しなかったはず。観てる貴方も同罪だと言える社会がやって来ると見世物小屋も消滅するのだが。残しましょうという孫世代からのラブコールは気持ちだけ有難くといった女将さんの姿勢を私は本作中唯一健全で美しいと思った。