試合シーンではドカッ、ボスッなどと

1月20日、『ビューティ・ペア 真赤な青春』(77年東映)をDVDで観る。監督、内藤誠。公開当時十代の少女たちに人気だった全日本女子プロレスの看板タッグ、ビューティ・ペアの架空ドキュメント。試合シーンではドカッ、ボスッなどと仮面ライダーのようなパンチ音がかぶせられている。ロープだ、レフェリーどこ見てんだとジャッキーとマキが怒鳴る様子は正面からの別撮りで全編アテレコ。段取り丸出しの漫画チックな構成は懐かしく楽しい。全女に熱狂していた小学生時代の私にとって池下ユミ阿蘇しのぶのブラック・ペアはわかりやすい悪者だった。本当に性質悪気で憎らし気だなこのペアはと思っていたが。今観ると池下ユミの浅黒い仁王像のような男顔はエロチックである。女子プロレスが休日のお父さんたちの娯楽だった前時代の流れを汲むのがブラック・ペアだったのだ。悪者はお父さん寄りという設定だったとすれば後に極悪コンビと堂々と入場していた阿部四郎レフェリーはその切札か。だが極悪コンビも阿部四郎もカワイイと言っていた少女も当時私の周りにはいた。悪がなめられ始めていたのか。いや悪の方が最低限の市民権を守るためにみずから道化者を演じ始めていたのだ。その頃から私は日曜の午後の全女の中継を観るのが何ともダルな習慣に変っていった。現在、シアター上野の中入りに全女の中継のあの物悲しいエンディングテーマが流されていることに何かこみ上げてくるものがある。告白すれば私が生まれて初めてテレビ画面の中で歌って踊る人物の姿に「しびれちゃった」のはビューティ・ペアが初体験なのだ。本作を観れば忘れていたあの電撃感が再び戻るかと期待したが。ベビーフェイスより悪者の方がエロチックで好みだなどと自分がすっかり休日のお父さんと同化している現実に気付いただけであった。シアター上野に集まる休日のお父さんの一人が百均で購入したプラスチックのジュエリーを踊り子に差し出す。踊り子はお父ちゃんありがとうともらった物は必ずその場で身に付ける。ここに来れば私もお父ちゃんになれる。プラスチックのジュエリーの代わりに自作の詩を差し出してみようかと思う。もらった詩をその場で朗読されたらどうする。いいじゃないか。その場で朗読されても恥ずかしくない詩を書いたらいいじゃないか。詩のボクシングよりその方がどれだけ詩魂が鍛えられるか。小向美奈子がボロ泣きするような詩が出来上がるまでシアター上野に行くべきじゃないと私は思う。その詩を書くためにはどうにかもう一度私自身がしびれちゃわなくてはと思うが。