なにぶんさみしがりやの荒木一郎の

2月28日、『荒木一郎 スーパーベスト』を聴く。オープニングは『空に星があるように』。教科書に取り上げられてもおかしくない名曲である。『上を向いて歩こう』に比べて随分評価低いなと感ず。シンガーソングライターのはしりとしての荒木一郎は随分と評価低いなと。音楽の才能がどうこう以前に人間性に問題があったとか。いやそれは荒木一郎が俳優業で振りまいていたチンピラキャラの影響か。しかし実際表舞台からは降りてしまったし中田カフスに似てなくもないし。とはいえジャケ写の涼しい横顔は森山未来に似てクールビューティにも見える。時代の流れと共に風化してしまった荒木一郎のかっこよさを本作から汲み取れまいか。全14曲がほぼ荒木一郎自身による作詞作曲。『いとしのマックス』以外はゆったりとした曲調にささやきかけるようなヴォーカルがのったソフトロックが中心で悪くない。身震いするほど刺激的ではないが後を引く心地よさというか。『夜明けのマイウェイ』の御本人バージョンで一端シメる構成に編集者の愛を感ず。荒木一郎のかっこよさを忘れていない世代といえば50代は超えているだろう。女性スキャンダル続きの芸能ゴロといったドス黒い印象しか残っていない私にせよ分別盛りの四十男だ。大人だろ、勇気を出せよと荒木一郎の世界に今一歩踏み込んでみよう。歌詞カードを読み返して気づいた。全14曲8曲もの歌詞の中に「淋しい」「さみしさ」というフレーズが出てくる。随分なさみしがりやである。荒木一郎のこの極度のさみしがり様と裏方に転身せざるを得なかったいきさつは無関係ではないのでは。俳優業において散々演じてきたDV男ぶりにも「さみしさ」は付きまとっていたような。さみしかったら何をしてもいいのかと言われればごもっともだが。しかし荒木一郎とその時代にはそうしたさみしがりの非力なマッチョを受け入れてしまう不幸好きな女たちもまだいたのだろう。家に金入れないでヘイベイビーって感覚嫌いなのよという矢沢永吉の言葉を思い返してみる。『いとしのマックス』の荒木一郎はまさしく家に金入れないでヘイベイビーという感覚を振りまいている。だから『いとしのマックス』のようなロックンロールはなるべく除いてソフトロックのイメージで再浮上を企んでいるようにも思えるが。なにぶんさみしがりやの荒木一郎のことだ。今現在舞台裏でも相当さみしがっているに違いない。何にせよプレイボーイだ。篠崎愛だってうかうかしてはいられまい。引き続き今後とも充分な警戒が必要な荒木一郎である。