青山学院大学という所はとても

9月1日、フラワー・トラベリン・バンドの『SATORI』(98年ワーナーミュージック)を聴く。71年に発売されたフラワー・トラベリン・バンドのセカンドアルバム。GS好きの私は内田裕也率いるフラワーズは聴いていてもその後メンバーチェンジし世界進出の旅に繰り出した新生フラワーの音源にふれるのは初めて。何か初めてボアダムスの『ポップタタリ』を聴いた印象と近いものを感ず。言葉の壁も東西文化の壁もすり抜けた亡霊のごとく変なロックである。ボアダムスの海外公演をシティロード誌上でレポートしていたのがヒカシュー巻上公一だったことに当時私はほんの少し違和感を覚えた。ボアダムスは世界的に注目されつつある純国産の変なロックで先輩格の変なロッカーにあたる巻上公一も大絶賛なのかと。やはり大陸で愛される「純国産」は全東洋仕込みの何か変なことやらなきゃ見向きもされないのかとグレート・カブキやショー・コスギを想ったり。新生フラワーには60年代後期からのGS出身者が集結している。GSブームの終わりに大陸を目指して飛び出した開拓民のようなフラワーたちの動向に国内の音楽業界はあまり関心がなかったのか。71年4月、国内では平山三紀が『真夏の出来事』を大ヒットさせた。橋本淳と筒美京平の二人はフラワーの世界進出計画にまったく無関心だったのだろうか。もし万が一にもフラワーが『スキヤキ』以上に大陸で認知されてしまったら状況はどう変わるのかなくらいはぼんやり考えていたのでは。『真夏の出来事』の中の“悲しい出来事が 起こらないように”というくだりに私はそれを感じるのだが。続く“祈りの気持ちをこめて 見つめあう二人は”のくだりで見つめあっているのは橋本淳と筒美京平の二人なのではないかとも感じるのだが。青山学院大学という所はとてもハッピーな所でしたよというのが近年私が初めてラジオから聴いた橋本淳の肉声であった。キャンパスの中には戦後の荒廃など皆無で戦前と同じ時間が流れていたからとてもハッピーであったと。ハッピーな境界で創造したものをまだハッピーじゃない塀の外へ届けてきた自分たちの足跡が矮小化してしまうようなビギナーズラックをフラワーの連中がもしもと当時の橋本淳はまったく予想しなかったのか。いや、フラワーの行く末よりも自分たちなりの世界進出を今いる所でシミュレートしてみようかといった試みが『真夏の出来事』にはあるよう。結びの語りはオリジナル版は仏語。大陸志向のフラワーの向うを張っているような。71年、平山三紀は変なロックに国外退去令を。